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小さき花-第2章~1

2019-12-05 19:10:27 | 小さき花
 私の母の病気の有様については、詳しい事柄までも記憶し、殊にこの世を離れる前の数週間の事は一層よく記憶しております。
 この時セリナと私はちょうど島流しにでもなったように、毎朝ある夫人に連れられてその家で一日を過ごしておりました。ある朝、夫人はいつもよりは早く私等を迎えに来られたので、祈祷を為す時間もなく自宅を出ました。ところが途中でセリナは私に「まだ祈祷が済んでいないという事を夫人に告げましょうか」と申しましたので「もちろん、それを言わねばなりません」と答えました。それで夫人の家に着くと、セリナは少し遠慮するような態度で、恐る恐る夫人にその事を申しますと「それならこの部屋で祈祷をしなさい」と言うので、二人を広い部屋の中に入れ、自分はそのまま出て行きました。この夫人の仕打ちがなんとなく物足りない心地がして、セリナも私も少し呆気に取られ、お互いに顔を見合わせました。その時私は「ああ、これはお母さんの仕方と違う、お母さんは何時も私等に祈りをさせてくださったのに……」と申しました。(続く)


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小さき花-第1章~7

2019-12-05 19:09:29 | 小さき花
 ああ母様! 私はその時代にいかに幸福であったでしょう。私はただ身長が伸びるばかりでなく善徳は非常に私の心に惹きつけていました。善徳を修める点については、今日と同じ心持ちであったと思います。何を為すにも自分の欠点に打ち勝とうと努める良い習慣を養いました。それは例え私の品物が取られても不足を言わず、理由なしに咎められたときにも、これを言い訳せず黙って耐えているという良い習慣をつくりました。別に力を尽くす訳ではありませんから、私にとってあまり功績であるということは出来ません。自然に行うようになっておりましたから。
 ああ、私のこの幼年時代!陽気にして愉快でした。この幼年時代がいかにも早く過ぎ去りましたが、私の霊魂にはいかに愉快で深い印象を残した事でしょう。
 私はいつも、日曜日に母と共に郊外に散歩した時の事を、喜びをもって想い出しました。その時心の中に起こった感じを今もなお感じております。緑の野には可愛らしい美人草とか矢車菊、また雛菊などが咲き乱れて花が野に敷いているように美しい景色はちょうど詩的のようです。また美しい蝶がこの自然の錦の上を飛んでいますので、私はいつもこの田園の清く美しい景色、広々とした事と美しいことが、私の心を奪って天国の事を思わせるのです。度々この長い散歩の間に貧しい人々に会うと、幼きテレジアは彼らに施しを持って行く役目をしておりました。これが彼(私?)にとっては非常な喜びでした。また少し遠いところに入った時には、父は小さき
女王の為に道が遠すぎると思い(私の望みに反して)他の者よりも、一足先に家に連れ帰るのですが、時には私を慰めるために、セリナは自分の手籠に雛菊の花束を摘み入れて持ち帰ってから与えてくれました。
 私のこの時代は、地上に於ける総ての物がみんな微笑を呈していました。一足ごとに花を見つけて私の幸福なる気質がなにもかも愉快に見せていました。しかし、間もなく新しい時代に入らなければなりません。私は早くからイエズス様の許婚になろうという望みでありましたから、幼年の時から苦しみにあう必要がありました。それでちょうど春の花が萌え出でる前、厳冬の寒さ、雪の苦しみを凌がなければならないように、いま自分の経歴を認めているこの「小さき花」も、まず試練の冬枯れに遭い、その柔らかなうてなの上に露と涙を注がなければなりませんでした。(一章終り)


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