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小さき花-第1章~4

2019-12-01 15:37:48 | 小さき花
 母様!私の母が、訪問会に寄宿しておった姉ポリナに送れられた手紙を、あなたから見せて頂いた事がありますが、私はその手紙に書いてある事を未だに記憶しております。此の手紙は母の書いたものですから、無論私の事を誉めてありますが、それは私の幼い時父母に対して愛情を表した方法の一端を知る事が出来ますので、今この手紙の一部をそのまま書き取りましょう。
 「……この節、幼児はたいそうませて来て、可笑しい程私の機嫌を取ろうと努めております、時々「お母さん、早う死になさい」と言うので、「なぜそんな事を言うか」と叱ると、直ぐに謝りますが、その時いかにも不思議そうな態度をして申すには「しかしお母ちゃんが天国へ行くには、死んでから後でなければ行かれぬ、と言っておられますから……」と幼な心にも母を早く天国の楽園に行かせようと思っているのです。この愛の極端な言葉は時々父にも向けられるのです。
 この可愛い児はいつも私の側を離れず、何処へ行くにも喜んで随いてきます、殊に庭園に行く事を歓びます、ちょっとでも私の姿が見えないと直ぐに泣き出すので大いに閉口します、また階段を昇る際には一段ごとにお母ちゃんお母ちゃんと呼んで昇るので、いつも段の数だけ返事をせねばなりませぬ、もし私が黙っておりますと、いつまでもその段を動かず私の返事するのを待っておるのです。……」
と、また私の満三歳の時に送られた手紙の中に次の文句がありました。
『……幼きテレジアは先だって私に「自分は天国に行くでしょうか」と尋ねたので、「もし大人しくしておったら天国に行けます」と答えると、「それなら私は大人しくなかったら、恐ろしい地獄へ行くの?」と言いながら少し考えて、「お母ちゃんが天国へ行くからその時には私を固く抱いて下さるでしょう、そうしたら天主様はもう私を地獄へ入れる事をなさいません」と真面目に言うので大笑いしました、これもだだ私にさえ抱かれていれば大丈夫で、天主様ももはや何事も為さらぬと深く信じているのでしょう、そしてこの時にはその自信が目付きに現れております。
 こういう風ですから家族の者がみなこの児を可愛がって、長姉のマリアなどは暇さえあればこの児を相手に笑い興じておるのです。また可愛いのは時々告解する為にチョコチョコと私の側に走り寄って愛らしい目付きをして「お母ちゃん!私は一度セリナを突き、また一度セリナに打つ真似をしました、もう致しませんから堪忍して頂戴」と言うのです…………。
 また何か悪い事をした時には少しも隠さず、淡泊に誰にも彼にもこれを告げるのです、昨日も粗相して壁紙を破り、非常に心配そうな態度をして、「お父さんが帰りましたら直ぐに謝ります」と申しておりました、ところがそれから四時間ばかり経ってお父さんが帰られましたが、此の時にはもはや他の者がその事を忘れているのに、この児はマリアのところに駆けて行って「私が紙を破った事を早くお父さんに告げて来て下さい」と言いながら、自分はちょうど罪人が刑の宣告を待つように、ちゃんとそこに座って罰を待っているのです、しかし心の中では白状すれば容易に赦されると思っているのです……』と。
 私はここに親愛なる父という文字を書くと同時に、喜ばしく楽しい想いが自然に湧いて来ました。此の時分、私は父が帰られると直ぐに迎えに出て、履いておられる長靴の上に腰掛けるのです。すると父は私は靴の上に乗せたまま、そろそろと私の望む通りに家の中や庭の内に散歩せられるのです。母は笑いながら父に「貴方ははいつもテレジアの望み通りになる」と申しますと「何、どうもこの児は家の女王であるから」と答えられ、のち、私を抱き上げて前後左右に揺り動かし、さまざまに私を愛し慰めて下さいました。しかしそうかといって決して甘やかすような事がありません、まだよく記憶しておりますが、私はある日ブランコに乗って遊んでおりますと、父がそこに通りかかられて「小さき女王さん、私を抱きに御出で」と申しました、その時私は常にやりつけたことに反して、横着にも、「お父さん此処まで来て頂戴!」と言ったのです。無論父は、私の言葉を聞き入れなさらず黙って書斎に帰られましたが、これはごもっともの事です。ちょうどその時側に姉マリアがおりまして私に「我儘者よ、そんな事をお父さんに言うものではありません」と。私は悪かったと思い、直ぐに罪の便りとなった此の忌まわしいブランコを止めて自分の悪い事を非常に悔やみ大きな声で泣きました。そしていつもはお母ちゃんお母ちゃんと呼びつつ上がる階段も、此の時に限って黙って二階に昇り、父に逢い早く和睦すべく父にお詫びをしてそのゆるしを受けました。

読んでくださってありがとうございます。yui
いろいろな事情で更新がなかなか出来ませんが、終わりまで、書き続けます。