われわれは、自己の主張をするべき時にしないことがある。
これを謙遜であり温厚であるというかもしれない。
しかしその人が普遍において主張を肯定することができないならば謙遜でもあろう。
だが普遍とは何のかかわりもなしに、沈黙するなら、それは卑屈である。
卑屈であることは、ただ人格性への尊敬を傷つけるのみか、他人の中に高慢と尊大とを培養することになり、いっそう否定されねばならない。
特殊は普遍において肯定され否定されねばならないとともに、もし肯定された場合には、特殊を主張することは権利であるとともに義務である。
:河合栄治郎 「続 現代の学生に贈る」
まだ、スッキリ理解できていないが、とても大切なことを述べているように思う。
普遍において肯定された特殊は主張しなければならないとは具体的にはどういうことか?
LGBTQなんかがそうなんだろうか?
性別よりも生命が大切であるということか?
しかし、特殊が肯定されるケースはまれである。
特殊は普遍において肯定され否定されねばならないとともに、もし肯定された場合には、特殊を主張することは権利であるとともに義務である。
と表現した方が現実的な気がする。