どうも、囲碁アートの関です!!
前々回、「コミ」についてのお話でした。
白の陣地を6.5目、プラスする。
勝負を互角にして、引き分けをなくして、しっかり勝ち負けがつくようにしたものです。
なくてはならないもの、のような感じがしますね。
しかし、これが公式戦で導入されたのは昭和の初めごろでした。
いまも行われている「本因坊戦」の初回、1939年~1941年。
そのあたりから、だんだんと採用され始めてきたようです。
ということは・・・一般的になってわずか「80年」?
何千年といわれる囲碁の歴史のなかでは、だいぶ最近のことみたいです。
じゃあ、その前はどうなってたんだ・・・
勝負、成り立つんでしょうか。
そこには、囲碁の「勝ち負けじゃなさ」がぎっしり詰まっていたのです。
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コミが導入される前。代表的なのは江戸時代の囲碁界です。
囲碁は、
「黒番が有利」
「引き分けがある」
ものでした。とはいっても、
黒が有利だと気付いていなかったから、ではありません。
昔の人もちゃんと黒番有利を知っていました。
そのうえで、表面の勝ち負けだけではない、
明らかに「ゲーム」であることを超えた
「棋道」としての見方があったのでした・・・。
たとえば、
黒の秀和(しゅうわ)は歴代でも最強クラスの人で、当時の覇者のひとり。
伊藤松和(しょうわ)のほうが年長で、ベテランの立ち位置でした。
この一局は松和の「一生の傑作」といわれていて、「名人クラスの碁を打った」(意訳)と評されました。
不利な白番を持った松和、超がんばります
▲の二手が有名で、普通の発想では思いつかないやつ。やばい 神
一生の傑作です。人生でもこれ以上はないような、一番力を出し切った碁です。
さて、結果は・・・?
持碁。
引き分けでした。
勝ってないんですよね。
でも、その結果も含めて「一生の傑作」です。
当時の価値観をざっくりと書いてみると
黒→有利だから、最後までリードを守って勝ち切る。堅実。
白→不利だから、なんとか頑張って逆転を目指す。積極的。
が一般的です(人によりますが)
黒と白で、やることが全然違うんです。
なので、黒が勝つのは当たり前。
どんな内容で、どのくらいの差で決着するか?
というところに、表面の勝ち負けとは別の価値が置かれていたようなのです。
これも、だいたいですが
黒3目以上勝ち・・・黒が頑張った。勝ちといってよい。
黒2目勝ち・・・お互い頑張った。
黒1目勝ち・・・黒が相当追い詰められた。白も褒められるべき
引き分け(持碁)・・・白すごい。大成功
白勝ち・・・はっきり白の人のほうが強い
みたいになります。
今回の松和の「持碁」は、
「あの最強の本因坊秀和に白を持ったにもかかわらず、黒の有利な分を帳消しにして引き分けた。内容も素晴らしい。」
という点で評価されていると思います。
他の強豪の中には、結果は負けなのに最高の出来とされたもの もあるくらいです。
なんなんでしょうね、囲碁って・・・勝負って・・・笑
トーナメント戦がなく、棋士の数も少なかったので
一発でキッカリ白黒をつける必要が、今よりも薄かったわけです。
それよりも、何より最優先だったのが「技を競ってぶつけあうこと」。
別にコミがなくても、それはできていたのでした。
「囲碁」とひとくちに言っても、こんなに理路整然と成り立っているように見えても、
文化が違えばまったく異質なものになるわけですね。
10年後、100年後にさらに面白くなっているように
私なりにいろいろやっていこうと思います。
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