
どうも囲碁アートの関です!
マニアブログフェスタ も、9月いっぱいで一段落。
(そのあとも投稿はしたいと思います)
わたしにとっては、自分のやっていることをしっかり文章にする良い機会だったと思います。
マニアフェスタ当日のブースだと、通りゆく人々に5秒~30秒くらいでコンセプトを伝える努力をしていて
囲碁知ってるひとでも「???」な囲碁計算機、囲碁アート。その大変さをいつも実感します。
長文になってしまった回も(全部か...)ありましたが、しっかり書けたのがよかったです。
仲間に入れていただき、ありがとうございました!
同時に、他のジャンルのマニアさんと自分を見比べる機会でもあり、
自分のやっていることは何なのか、ということをいろいろ考えていました。
「絵から囲碁が遊べる」から発射して、いつのまにか「遊べる」を切り離して高度を上昇させた「囲碁アート」。
突然思いついて、うまく嵌った「囲碁計算機」。
囲碁の中に言葉がある!という発見をした「囲碁モールス理論」。
うん、何してるんでしょうね。
いずれも、普通の囲碁から一歩引いて見ているのかなあと思います。
たとえば、こういう「定石」(よくある、良い展開)があるんですけれど
この途中の、白1(白14)、黒2(黒15)
普通の囲碁から見れば、
「・の白石が取られてもいいから、白1は黒を攻めにいった。黒2は白石・を取り、上のほうに陣地を広げやすくなった」
という風に見られます。
しかし、このブログにおいては
「黒2で白が取られて・が出た。英文だと「E」、和文だと「へ」が出た」
「二進数の「0」が出力された」
なんですよね。ここはそういう世界です。
続きです。最後に黒6、白7でお互いに石を取っています。
ここでも・・・
「白、黒の順に取られたので、・-となり「A」、あるいは「イ」が出力された。」
「二進数の01、つまり1という計算結果となった」
という認識です。
さらに、囲碁アート的には
こんな感じになったら、なんか絵ができやすいかな・・・絶対ないけど・・・
と思いました。
こういう見方は、囲碁というゲームの外側に立って、それでいて囲碁をしている
ということかもしれません。
普段何気なくやっていること改めて見返してみると、
石が囲まれて取られる。碁盤の外に出される。
という当たり前の動きが、急に目立って見えてきて
計算結果が出される瞬間や、言葉や声が出る瞬間にもなりうることに気付く。
囲碁の中に新たな別の視点が導入されるということです。
これはまさしく路上・・・いや路条観察だ!!!
条は「筋道」、碁盤の線や囲碁そのものの筋道と重ねました。
というつもりで最近は考えています。
囲碁アート新作です。
— 関翔一@囲碁で引き分けピクセルアート (@chitokunn) July 29, 2019
「東中野風景」
よこ229路、たて300路
初めて風景を作ってみました。過去最大。
黒から囲碁すると陣地が同じになり、最後は引き分けになります。
ぜひ盤に並べて遊んでみてください!#囲碁アート pic.twitter.com/RMcwEQGyCt
そういえば、路上系の作品がありました。
初めは無意識だったとはいえ、視点を移動してみたことがいまの制作につながっているのかなと思いました。
これからは意識せざるを得ません。それでさらなる新ネタを見つけ出していきたいところです。
少なくとも自分は当分楽しめそうです!伝えられるようにがんばろう。
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