【 Single Data 】
リリース:1963年11月29日
チャート:英国1位
「それだよ!そのコードだ!」
これは、ピアノに向かったポール・マッカートニーが、「G」「D7」に続き、「Em」を奏いた時にジョン・レノンが発した言葉です!
当時、女優ジェーン・アッシャーの実家に居候をしていたポール、その家にジョンも訪ねることが度々・・・
母親が音楽教師をしていた関係で、アッシャー家にはレッスン室として使われていた地下室がありました。
今日は、ジョンとポールがアッシャー家の地下室で膝を突き合わせて共作し、全米制覇の足掛かりとなった曲の紹介です。
【 Single Data 】
リリース:1963年12月26日
チャート:米国1位
世界を制覇!
王室御前コンサートを経て、英国内で人気が最高潮に達した1963年の秋、全米制覇をする上で、ビートルズは、またとない強力な新曲「抱きしめたい」をリリースしました!
予約注文だけで90万枚に達し、発売と同時に全英1位に輝き、その後、ヨーロッパ中でも大ヒット、いよいよアメリカ制覇の時は刻々と迫って来ました。
しかし、かつてイギリスで人気が絶大だったクリフ・リチャードさえも、アメリカでは全く不振だったという不安が彼らの頭に過ぎるのは無理もありません・・・
イギリスでリリースから遅れること約1ヶ月後の翌1963年12月26日にキャピトル・レコードからリリースされた「抱きしめたい」(アメリカ盤のB面は、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」)は、キャピトル側の大々的なプロモートのかいもあってか、彼らの心配をよそにチャートを駆け上がり、2月1日、ついにその頂点に立つに至ったのでした。
まあ、こんなこと、ビートルズ・ファンなら誰でも大筋は知ってますよね!
何を書き込んでも、誰かが同じようなこと書いてます・・・(^O^)
リリース:1963年12月26日
チャート:米国1位
世界を制覇!
王室御前コンサートを経て、英国内で人気が最高潮に達した1963年の秋、全米制覇をする上で、ビートルズは、またとない強力な新曲「抱きしめたい」をリリースしました!
予約注文だけで90万枚に達し、発売と同時に全英1位に輝き、その後、ヨーロッパ中でも大ヒット、いよいよアメリカ制覇の時は刻々と迫って来ました。
しかし、かつてイギリスで人気が絶大だったクリフ・リチャードさえも、アメリカでは全く不振だったという不安が彼らの頭に過ぎるのは無理もありません・・・
イギリスでリリースから遅れること約1ヶ月後の翌1963年12月26日にキャピトル・レコードからリリースされた「抱きしめたい」(アメリカ盤のB面は、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」)は、キャピトル側の大々的なプロモートのかいもあってか、彼らの心配をよそにチャートを駆け上がり、2月1日、ついにその頂点に立つに至ったのでした。
まあ、こんなこと、ビートルズ・ファンなら誰でも大筋は知ってますよね!
何を書き込んでも、誰かが同じようなこと書いてます・・・(^O^)
【 Single Data 】
リリース:1964年2月5日(日本)
チャート:当時はまだオリコンが存在しなかった。
日本のビートルズのデビュー
日本でのデビュー曲は「抱きしめたい」ですが、本来は「プリーズ・プリーズ・ミー」がデビュー曲として用意されていたそうですが、アメリカでの大旋風を目のあたりにして、急きょデビュー曲を「抱きしめたい」に変更!
当時のファン代表の人が、日本でのデビュー・アルバム『Meet The Beatles』で曲紹介をしてますので、新人ビートルズのデビュー曲を紹介した文章をそのまま書きます・・・
イギリスでの発売は63年11月29日、そして即、翌週12月7日付以後4週間メロディー・メーカー誌のトップ。アメリカでは64年1月2日付で登場、2月~3月中旬まで実に7週間首位独占という、華々しいデビューを飾ったのです。このシングル盤が又大変、発売されて一週間で80万枚、二週間目で100万枚突破の驚異的記録を樹立しました。タイムリーなアメリカ公演と重なり、まさにビートルズを世界のビートルズにならしめた曲と言えます。作詞・作曲は、レノン=マッカートニーの名コンビ、ベートーヴェン第五もフルえるほどのイントロは、私達の待ち望んでいたものです。コーラスもスバラシイ、かつてのそれは唯和音内で美しくまとめることを目的としていたのに対し、この曲でのリード・ヴォーカル、ジョンにハモるポールのパートは、ラフで創造的兼つ、革命的なものです。歌詞を見てもテーマ(I wanna hold your ha-a-and) が繰り返し絶叫され、若者の心の中でのためらいを絶ち切ってくれたのです。
四分の四拍子、どれだけ私達のリズムに合っていたかを教えてくれたのもこの曲。曲中の手拍子は練習の価値があります。
“…もう僕の恋はかくせない…抱きしめたい…君を抱きしめたいんだ。…君の手に触れる…僕の恋が震える、そんな僕の恋、お願いだ、言っておくれ…抱きしめていいと。”
(文:日本ビートルズ・ファン・クラブ 鳥居幹雄氏)
ほとんど情報が入ってこない時代です・・・
手拍子を練習する価値があるかどうかわかりませんが・・・(^O^)
一生懸命熱い気持ちを伝えようとしてるのはよくわかります!
リリース:1964年2月5日(日本)
チャート:当時はまだオリコンが存在しなかった。
日本のビートルズのデビュー
日本でのデビュー曲は「抱きしめたい」ですが、本来は「プリーズ・プリーズ・ミー」がデビュー曲として用意されていたそうですが、アメリカでの大旋風を目のあたりにして、急きょデビュー曲を「抱きしめたい」に変更!
当時のファン代表の人が、日本でのデビュー・アルバム『Meet The Beatles』で曲紹介をしてますので、新人ビートルズのデビュー曲を紹介した文章をそのまま書きます・・・
イギリスでの発売は63年11月29日、そして即、翌週12月7日付以後4週間メロディー・メーカー誌のトップ。アメリカでは64年1月2日付で登場、2月~3月中旬まで実に7週間首位独占という、華々しいデビューを飾ったのです。このシングル盤が又大変、発売されて一週間で80万枚、二週間目で100万枚突破の驚異的記録を樹立しました。タイムリーなアメリカ公演と重なり、まさにビートルズを世界のビートルズにならしめた曲と言えます。作詞・作曲は、レノン=マッカートニーの名コンビ、ベートーヴェン第五もフルえるほどのイントロは、私達の待ち望んでいたものです。コーラスもスバラシイ、かつてのそれは唯和音内で美しくまとめることを目的としていたのに対し、この曲でのリード・ヴォーカル、ジョンにハモるポールのパートは、ラフで創造的兼つ、革命的なものです。歌詞を見てもテーマ(I wanna hold your ha-a-and) が繰り返し絶叫され、若者の心の中でのためらいを絶ち切ってくれたのです。
四分の四拍子、どれだけ私達のリズムに合っていたかを教えてくれたのもこの曲。曲中の手拍子は練習の価値があります。
“…もう僕の恋はかくせない…抱きしめたい…君を抱きしめたいんだ。…君の手に触れる…僕の恋が震える、そんな僕の恋、お願いだ、言っておくれ…抱きしめていいと。”
(文:日本ビートルズ・ファン・クラブ 鳥居幹雄氏)
ほとんど情報が入ってこない時代です・・・
手拍子を練習する価値があるかどうかわかりませんが・・・(^O^)
一生懸命熱い気持ちを伝えようとしてるのはよくわかります!
抱きしめたい / ザ・ビートルズ
君に話があるんだ
わかってくれると思うけど
僕がその告白をするときは
君を抱きしめたい
君を抱きしめたい 君を抱きしめたいんだ
お願いだから言ってよ
君の彼氏にしてくれるって
お願いだから言ってよ
君を抱きしめていいって
君を抱きしめたい 君を抱きしめたいんだ
君に触れると幸せな気持ちになる
すばらしい気分さ・・・・この恋心は
とても隠しきれるものじゃない
君にはなんともいえない魅力がある
わかってくれると思うけど
僕が例の告白をするときは
君を抱きしめたい
君を抱きしめたい 君を抱きしめたいんだ
君に触れると幸せな気持ちになる
すばらしい気分さ・・・・この恋心は
とても隠しきれるものじゃない
君にはなんともいえない魅力がある
わかってくれると思うけど
その魅力をひしひしと感じると
君を抱きしめたい
君を抱きしめたい 君を抱きしめたいんだ
君を抱きしめたいんだ
君に話があるんだ
わかってくれると思うけど
僕がその告白をするときは
君を抱きしめたい
君を抱きしめたい 君を抱きしめたいんだ
お願いだから言ってよ
君の彼氏にしてくれるって
お願いだから言ってよ
君を抱きしめていいって
君を抱きしめたい 君を抱きしめたいんだ
君に触れると幸せな気持ちになる
すばらしい気分さ・・・・この恋心は
とても隠しきれるものじゃない
君にはなんともいえない魅力がある
わかってくれると思うけど
僕が例の告白をするときは
君を抱きしめたい
君を抱きしめたい 君を抱きしめたいんだ
君に触れると幸せな気持ちになる
すばらしい気分さ・・・・この恋心は
とても隠しきれるものじゃない
君にはなんともいえない魅力がある
わかってくれると思うけど
その魅力をひしひしと感じると
君を抱きしめたい
君を抱きしめたい 君を抱きしめたいんだ
君を抱きしめたいんだ
ビートルズは本当に大好きです。
今後も出来るだけ発売された順番で紹介して行きたいと思ってます。
ビートルズを全曲紹介した時をblogを終了する時と思っていますが、多分、ペースが極端にスローすると思いますので、後、何年掛かるやら・・・