Johnny’s Dazed And Confused Days

〜ジョニーのぼんやりと混乱した日々〜

♪ サウンド・オブ・サイレンス / サイモン&ガーファンクル:1964年作

2024年01月14日 10時00分00秒 | 1960年代の洋楽

【 Single Data 】
リリース:1965年9月(米国)、1966年〜再発売1968年6月15日(日本)
チャート:米国1位(1966年)、オリコン1位(1968年)

失意にくれた!
元々は“トムとジェリー”という漫画の主人公のような名前でグループ活動、1964年にアルバム『Wednesday Morning,3A.M.』で本格的にデビューするにあたり、デュエット名をサイモン&ガーファンクルに変更、優れたオリジナル曲にカバー曲を交えたデビュー・アルバムは上々の出来栄えでした。

しかし、、、
アルバムの出来とセールスは合致することなく、売上総数3,000枚と散々たる結果に終わりました。
ショックを受けたポール・サイモンはヨーロッパへ放浪の旅、アート・ガーファンクルは、以前いた大学院に戻ってしまいます。

3分の1がマイアミで売れた!
ところが、不思議なことに、、、
3.000枚しか売れなかったデビュー・アルバムでしたが、興味ある結果が、1965年の春にプロデューサーのトム・ウィルソンの元に届けられました。
それは、“マイアミだけで売り上げが1.000枚を超えている”といったもの・・・

マイアミのD.J に気に入られたのか、ボストンとフロリダのラジオ局で、頻繁に『Wednesday Morning, 3 A.M.』の曲が流されるようになり、とりわけ「サウンド・オブ・サイレンス」の人気が高かったようです。

時流に乗ってフォーク・ロックに変貌!
プロデューサーのトム・ウィルソンが偉かったのは、安直にそのままシングル盤としてリリースしなかったことです。
運よくというか、彼は、“ボブ・ディランのエレクトリック化への変貌”にかかわった当事者の一人・・・
その経験が、「サウンド・オブ・サイレンス」を、オーバーダブにより、“フォーク・ソングからフォーク・ロックへの変換する”という手段を思いつかせることになりました!

こうして、埋もれてしまう筈だったフォークの名曲は、フォークロックの名曲「サウンド・オブ・サイレンス」として生まれ変わることになり、時流に乗って、世界的な大ヒット曲になりました。

世紀のデュオ、サイモンとガーファンクルが表舞台に立てたのは、楽曲の素晴らしさに加え、フォークロックというムーブメントの中心にいたプロデューサーのアイデアが重なった結果の産物であったといってもいいでしょう!

【 Album Data 】
リリース:1966年1月17日
チャート:米国21位、英国13位

本人たちが知らぬ間に
フォーク・ロック風に衣替えしシングル・リリースされた「サウンド・オブ・サイレンス」、あれよあれよという間にチャートを駆け上って行きます。

その頃、自分達の曲の運命など知らないポール・サイモンは、英国で放浪中でした。
立ち寄った本屋で偶然、自分達の記事を目に留め、そこで初めて「サウンド・オブ・サイレンス」がヒットしていることを知った…とのこと!
慌ててアメリカに帰国しました…とのこと!

この話、あまりにも出来すぎていますねえ(^O^)
もしかすると本当かもしれませんがね❗️

とにかく、「サウンド・オブ・サイレンス」は、プロデューサーのトム・ウィルソンが二人の承諾なしにアレンジを変えてシングル・リリースしたことと、当時、ポール・サイモンが英国にいたことは違いないようです。

本屋の件は、責任は持てません‼️\( ˆoˆ )/

 世界的な大ヒットに
世界的に人気が沸騰したのは、何と言っても、1967年末に封切られた映画『卒業』のテーマ・ソングとして採用されたことによるものです(日本封切り1968年6月)。
日本でも、1966年にリリースされていますが、映画の封切りに併せて1968年6月15日にカップリング曲を変更して再発され、この年から始まったオリコン週間シングルチャート(1968年9月9日付)で邦楽を押さえてトップに立ちました。

日本のとある家庭で
1968年の初夏、映画『卒業』を観て来た8歳上の兄が、「サウンド・オブ・サイレンス」のシングル盤を買って来ました。 
兄にとって初めての洋楽だったと思います!
家にとっても、初めての洋楽のシングル盤で、一人の時も兄の承諾も無いのに何度も何度も何度も繰り返して聴きました。

この夏が、ある意味、洋楽への第一歩を踏み出した記念すべき年となったわけですね!

サウンド・オブ・サイレンス / サイモン&ガーファンクル
やあ いつもの暗闇よ
また話にきてしまった
幻が静かに忍び寄り
寝ている間に種を置ていったから
幻は頭の中に蒔かれ
今もそこにある
沈黙の音の中に・・

止むことのない夢の中を 一人歩く
石畳の狭い道を
街頭の灯りの下
寒さと湿気に襟を立て
ネオンの光が僕の目を射抜き
夜は引き裂かれ 触れた
沈黙の音に・・

裸の光に見た
幾千もの人々
語り合わずに話し
耳もかさずに聞き
響きあうことのない歌を書き
誰も破ろうとはしない 
沈黙の音を・・

「愚か者」と僕は言った
「みんなわかってない 沈黙は癌のように蝕む
教える僕の言葉を聞け 差し伸べる僕の腕をとれ」
でも 言葉は音のない雨の雫のように落ちてゆき こだました 
沈黙の井戸の中で・・

人々は跪き 祈る
自分達が作り出したネオンの神に
ネオンサインは警告の言葉を閃かせる
映し出された言葉は
「預言者の言葉は 地下鉄の壁、
アパートの廊下に書かれている」 そして囁かれる 
沈黙の音の中で・・






2 コメント

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Unknown (sakaki45)
2024-01-14 17:51:52
出来過ぎた話ですが(作り話ではないです)
自分にとっても、「サウンド・オブ・サイレンス」は、
本格的に洋楽を聴くきっかけとなった曲です。

自分の場合は、ある番組で多分、沢田研二さんがカバーしていて
それに一目惚れした感じですね。
その時は洋楽を全然聴いていなかったので、サイモン&ガーファンクルも知りませんでした。
それから半年ぐらいして、映画「卒業」に使われたとか詳しく知る事になりました。
だから自分でもこの曲は、サイモン&ガーファンクルの中でも特別な曲ですね。
最初はロックバージョンの方が好きでしたが、アコースティックも悪くないなと。
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Unknown (ikenaijoni)
2024-01-15 15:01:40
@sakaki45 さんへ

こんにちは😃
結構、日本のアーティストが演ってるのを聴いてなんてことはあると思いますよ。
特に僕らや僕らの上の世代は、洋楽の日本語でのカバーを聴いて育った世代ですから、後から原曲を聴いたなんてことはごく普通の事ですよ。

サイモン&ガーファンクルは1967年のニューヨークでのライヴが最高です。
彼らの原点がそこにあると思ってます。
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