“本当はプログレッシブ的なアルバムを作る予定だった!”
『Band On The Run』についてインタビューされた時、ポール・マッカートニーはこの様に答えました。
1973年夏、新作をアフリカでレコーディングしようと準備を進めていたポール・マッカートニーでしたが、リードギタリストとドラマーが相次いでバンドを脱退した事により、残ったのは彼とデニー・レーンと音楽素人のリンダ・マッカートニーの3人になってしまいました。
もはやバンドとしての体裁を保てなくなったウイングス、しかも、慣れないアフリカでのレコーディングと、二重にも三重にも最悪な状況ばかりが目につく様になりました。
この様な状況になったからには、当初、予定していた“プログレッシブ的なアルバム”から、大幅な方向転換をする必要に迫られのは自然の成り行きだったと思います。
まあ、プログレッシブといっても、ポールが作るものですから、当然、ポップであるのは間違いなく、「マイ・ラヴ」「007 死ぬのは奴らだ」の連続ヒットで、本来の調子を取り戻したポールでしたから、もしかすると歴史的名盤になっていた可能性もあり、今更ながら残念でなりません。
当初の予定からの方向転換を余儀なくされた『Band On The Run』、名曲群を上手くまとめ上げてはいるものの、音楽的に統一感というものに弱冠欠ける部分が見受けられるのも事実・・・
方向転換が残念ですね!
【 Album Data 】
リリース:1973年12月5日(米国)、12月7日(英国)
チャート:Billboard 1位、英国1位
リリース:1973年12月5日(米国)、12月7日(英国)
チャート:Billboard 1位、英国1位
今日ご紹介する曲は、間違いなく、当初のプログレ・アルバムの予定にも入っていただろうと思われるアルバムの最後を飾る曲「西暦1985年 Nineteen Hundred And Eighty Five」です。
鍵盤を叩き付けるように奏でられ曲全体をリードする力強いピアノ。
それに纏わりつくように単調なリズムを刻むベース。
バックを流れるシンセサイザーが異様な緊張感を生み出す。
そして、一転、ゆったりとした曲調に変化、ハモンド・オルガンが美しい!
最後の最後にギターソロ、オーケストラ、サックスソロが重なり合って、徐々に絶頂感を増していき、その緊迫感は「A Day In The Life」のエンディングのような感じがします。
そして、最後の最後にオープニング・ナンバーの「Band On The Run」のコーラス部分が再登場!
完璧なエンディングですね!
西暦1985年 / ポール・マッカートニー&ウイングス
“1985年になれば生き残ってる人なんていないわよ”
確かにあの娘の云う通りかも
あの娘、それはそれはキレる娘さ
恋人だってすぐつかまえるだろう
ところが僕だけは無理
だって、僕には君、君がいる
あの娘がこの僕にいくら甘く巧みに振舞おうと
君を側にした僕だけは崩せない
僕の母さんも云ってくれたよ、僕が君と恋した時
初めて僕の世界がひらけるって
そんなこと、僕、夢にも思っていなかった
それが本当になった今
僕がどれだけ幸福かわかるかい
そうさ、あの娘の甘い手口も意味がない
だって僕には素敵な君、君がいる
“1985年になれば・・・”だって、もういいよ、そんな話
“1985年になれば生き残ってる人なんていないわよ”
確かにあの娘の云う通りかも
あの娘、それはそれはキレる娘さ
恋人だってすぐつかまえるだろう
ところが僕だけは無理
だって、僕には君、君がいる
あの娘がこの僕にいくら甘く巧みに振舞おうと
君を側にした僕だけは崩せない
僕の母さんも云ってくれたよ、僕が君と恋した時
初めて僕の世界がひらけるって
そんなこと、僕、夢にも思っていなかった
それが本当になった今
僕がどれだけ幸福かわかるかい
そうさ、あの娘の甘い手口も意味がない
だって僕には素敵な君、君がいる
“1985年になれば・・・”だって、もういいよ、そんな話
この曲は、僕の知る限りではウイングスのコンサートではセットリストに入っていなかったような儀がします。
もしかすると、リンダのキーボードの技量では、ライヴ演奏がおぼつかなかったからなもかも知れませんね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます