Johnny’s Dazed And Confused Days

〜ジョニーのぼんやりと混乱した日々〜

♪ ピカソの遺言 / ポール・マッカートニー&ウィングス:1973年

2023年11月13日 07時00分00秒 | Paul McCartney
1973年4月8日、
画壇の巨匠が天に召されました。


食事の後、同席した友人達に向かって、「友よ、私の為に私の健康の為に飲んでくれ、私はもう飲むことが出来ないから」と言い残し、部屋に引き揚げたひとりの老人。
彼は、その夜、天に召されました・・・

その老人こそ、天才画家のピカソその人でした!

エピソードはダスティン・ホフマンから
この友人に残したピカソの最後の言葉を雑誌か何かで目に留めたのが、映画『卒業』の中で「エレ~~~~ヌ!」と叫んで、結婚式の花嫁を強奪したダスティン・ホフマン、そのホフマンが、映画『パピヨン』のロケ中のある晩のこと・・・
ホフマンの元に陣中見舞いにやって来たのが、「マイ・ラヴ」のヒットから、本来の調子を取り戻しつつあったポール・マッカートニーでした。

夕食を共にした二人、ホフマンがポールに作曲の方法等を尋ねたりして会話が弾みます。
そんな会話の中でホフマンは、この“ピカソの最後の言葉”のエピソードを話します~
「これを曲に出来るかい?」とポールに尋ねたところ・・・

ポールがあれよあれよと言う間に曲にしてしまいます。

驚いたのが言い出しっぺのホフマン、興奮のあまり台所にいた奥さんに向かって叫びます!
「おみゃあも聴きゃあ~! どえりゃあ~ことになっとる!」
んっ?ダスティン・ホフマンっていつから名古屋弁で話すようになった⁉️(^O^)
 【 Album Data 】
リリース:1973年12月5日(米国)、12月7日(英国)
チャート:Billboard 1位、英国1位

トータル性に一役
いずれにしても、このような形で生まれたのが今日ご紹介する「ピカソの遺言 Picasso´s Last Words (Drink To Me)」でした。
『Band On The Run』のアルバムを閉めっくるラスマイの位置に収録されるこの曲、のんびりとしたデニー・レーンのヴォーカルにリンダのコーラスが重なるという、いつもとは違ったコンビで始まります。  サビから主旋律がポールにチェンジ、中間部からは、曲調が変化、更に後半部に向かっては、このアルバムの曲「マムーニア」「ジェット」をさり気なく導入。 アルバムのトータル性に一役買い、間もなく終わりに近づいていることを感じさせます。 途中のゆったりとしたサビのコーラスも、ヨッパライが酒を酌み交わしながらの鼻歌交じり風・・・

凝った構成です!

ピカソの遺言 / ポール・マッカートニー&ウイングス
夕べ、偉大な画家が息をひきとった
その部屋の壁には描きかけの絵が何枚か
そしてその人が逝く前、僕達は招待されたんだ
その人、僕達におやすみを云ってくれたよ
“私のため乾杯だ、私の健康を祝ってくれ
諸君、私はもう飲めないんだ
だから乾杯、この私の健康に乾杯してくれ
諸君、私はもう・・・”その人は云った

そして朝3時
僕が寝ようとした時だ
突然、その知らせを聞いたんだ
でも僕は待っているのさ
“そこで私のため乾杯だ、私の健康を祝って
君よ、僕はもう飲めそうにないんだよ
だからせめてこの健康を祝って乾杯、乾杯だ
この僕の気持ち、わかってくれよ”

乾杯!!

乾杯してくれ







2 コメント

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Unknown (なおとも)
2023-11-13 12:28:08
こんにちは!
この曲は初めて聴きました。面白い曲ですね。
即興で出来るなんて、凄い才能です。
でら びっくりだわ!音楽もブログも楽しませて頂きました。 なおとも
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Unknown (ikenaijoni)
2023-11-14 12:39:04
なおともさんへ

こんにちは🌞
即興で作った曲に前出の曲を仕込んで、アルバムの統一感を出すなんて常人には出来ませんよね。
こんな狭い日本に、各地色々な言葉や、習慣があって面白いですね。
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