Johnny’s Dazed And Confused Days

〜ジョニーのぼんやりと混乱した日々〜

♪ 想い出(メモリー) / シルバー:1976年作

2024年02月24日 11時01分38秒 | 1970年代の洋楽
News hook 話題性
新人バンドがデビューするにあたり、絶対に欲しいのが“話題性”。 一人でも実績抜群のキャリアを持ったメンバーがいるだけで、全くそういった者がいないバンドとは、スタートの時点で雲伝の差が付いています。
1970年代はこういった“メンバーの中に元◯◯にいた誰それがいる”といった新人バンドが数多くデビューしました。 中にはメンバー全員がキャリア満点で、もう新人バンドと、とても表現するに片腹痛い集団も・・・

今日ご紹介するシルバーも、これらとは弱冠違った意味で“話題性”がありました。

 【 Album Data 】
リリース:1976年
チャート:Billboard 142位


有名人の弟が在籍
シルバーが他の新人バンドに比べ、多少なりとも有利だったのは、メンバーの中に有名人の弟が在籍していたという事実でした。
そのメンバーというのが、イーグルスの初期のメンバー、バーニー・リードンの弟のトム・リードン。 僕もそれによりシルバーを知ることになり、LPレコードを買う羽目になりました(^O^)
そこで考えてしまうのが、“この弟がいなかったら、果たしてこのバンドを知るに至っただろうか?”という事・・・
もしかしたら、LPを買わなかったばかりか、知ることもなく過ぎ去っていまった可能性もあります。
それだけに“話題性”というものは、バンドを成功させるのに無視することの出来ないもののように思いました。

Just A Little Bit 話は逸れますが 
初期のイーグルス・サウンドの根底にある基本的なものは、“カントリー・ミュージックにロックな味付けをした”といったものでしょうかね?
バーニー・リードンという人は、担当楽器がギターバンジョーマンドリンといったもので、イーグルスの中にあって、最も“カントリー色”の強い人で、バンドの方向性が徐々にカントリー色が失われて行くのを嫌ってイーグルスを脱退したと言われております。
彼の後任のギタリストとしてイーグルスに加入したのが、元ジェームス・ギャングジョー・ウォルシュであることからも、自然に脱カントリー的な部分が大きくなって行ったというのも頷けます。

この時期は、“元イーグルス”のというような、それなりの実績を過去に持ったアーティスト同士がバンドを組んでは、短期で解散するという事が数多くありました。
それが多くの“隠れた名盤”といわれるものを生み出す要因のひとつになったのではないでしょうか・・・

邦題同様インパクトに欠けた❗️
そんなことで今日もシルバーの曲を・・・
今日ご紹介する曲は、ウェストコーストのバンドらしいハーモニーを聴かせてくれる「想い出 Memory」です。
それにしても、この邦題、もうちょっと何とかならなかったのかな?(^O^)
“想い出=Memory”とくりゃあ、ミッシェル・ポルナレフ「渚の想い出」やら松崎しげる「愛のメモリー」やら、挙げ出したら切りがない程よく使われる単語。
それだけにタイトルを見ただけで、“聴いてみたい!”と思わせる邦題を付ける必要があったのはないでしょうかね?

曲が進むにつれて徐々に厚みを増す重唱、更にバックコーラスで全体を覆い、最後は転調までする、実に自分たちのコーラス・ワークの充実ぶりをこれでもかこれでもかと見せつけます。
実に嫌らしいくらいに歌が上手いウェストコーストのバンドらしい曲ですね!(^O^)

因みにこの曲、全米16位とヒットした1stシングルの「恋のバン・シャガラン」に続く2ndシングルとしてリリースされました。
ただアルバムの中の1曲としてだったら、素晴らしい出来だと思うんですが、シングルとして考えると少々???インパクトに欠けるんですよね!
第2弾、第3弾とシングル・ヒットを飛ばせなかった…この辺りが、出来のいいアルバムでありながら、全米で142位で終わってしまった要因の様に思います。

想い出(メモリー) / シルバー
僕の顔に刻まれた一つひとつのしわ
あの娘の想い出を消そうとしてついたんだ
あの娘は去ってしまったけど
僕の想い出にいつまでもいるんだ

見守ってくれる力があったから
世界は僕のものだった
いま僕の元気はしぼんでしまい
夢は石ころに変わってしまった
なんとか日々を
うまくやっていけそうになったとき
あの娘の名を呼んで 目を覚ます
僕ひとりだけの夜

あの娘の想い出を消そうとする辛さから
僕の顔についてしまったしわ
あの娘は去ってしまっても
僕の想い出にずっととどまっている

僕のなかにあるあの娘の姿が
過ぎた過去を呼び戻すんだ
あの娘は僕を必要として
助けてくれて不安を分かち合った
笑いあった僕らの声が空気に残ってる
僕は炎を見つめてる
あの娘がそこにいるかのように

あの娘を忘れる辛さから
顔にいくつものしわができてしまった
あの娘は出ていってしまったのに
想い出のなかにいつまでもいるんだ

時が経てば痛みは薄れると言う
もう泣かないって僕は自分に誓うけど
涙がずっと止まらない
僕は走って逃げるけど
涙がずっとついてくる
走って 逃げ続ける僕
もうあの娘を忘れなきゃ

あの娘の想い出を忘れる辛さが
僕の顔のしわを刻んだんだ
その娘はもういない
でも想い出はいつまでも
僕のなかで消えないんだ

あの娘の想い出を消そうとして
僕の顔についた無数のしわ

もうあの娘はいないけど
ずっといつまでも消えずにいるんだ
僕の想い出のなかに…






4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ikenaijoni)
2024-02-28 07:33:29
@sakaki45 さんへ

おはようございます。

この当時のウェストコーストのバンドは、キャリアがある者同士がバンドを組んだり、他のバンドのメンバーがレコーディングに参加したりと、まるで学生のサークルのノリで自由に活動してる様な雰囲気があり、隠れた名作なんて自分が知らないだけで、他にもわんさかあると思います。
返信する
Unknown (ikenaijoni)
2024-02-28 07:28:22
@yoko-2-1 さんへ

おはようございます。

返信遅くなり、申し訳けありませんでした。
それにしても、題目の万葉集とは違う三島論を提出してほめられるなんて、いつものブログ投稿からも充分予想出来ますが、余程、内容が素晴らしかったんでしょうね!
それと共に教授の柔軟さに感服しました。
返信する
Unknown (sakaki45)
2024-02-26 20:40:32
シルバーは知らなかったですが、
幾つか聴いてみて、結構好みかもと思ってみたり。
いい音楽でも話題にならないとダメなのは何だかなぁと。
返信する
Unknown (yoko-2-1)
2024-02-24 11:57:54
ikenaijoni さん
こんにちは。
読んで下さりありがとうございます。
三島由紀夫自決のとき、私は、まだ、この世に生を受けていませんでした。
しかし、高校時代に三島由紀夫の『豊饒の海』シリーズにはまり、今に至ります。
大学時代に不登校になった私が、再び登校しようとした理由が、(商学部だけど、教養の)文学の授業で、万葉集とは違うのに、自棄で三島論を提出した際、ほめられてうれしかったからなのです。
ほめて下さった先生は、仕事中にラジオで三島の自決を知ったそうです。
今につながる話をikenaijoniさんのおかげで想い出し、元気が出てきました。
ikenaijoniさん、ありがとうございます( ^_^)
これからもよろしくお願いいたします(*^^*)
返信する

コメントを投稿