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「女城主の里・いわむら」の町歩きと酒蔵見学

2019年03月15日 | 町歩き・ウォーキング・登山
岐阜県恵那市岩村町は、戦国時代、織田信長の叔母が全国的にも珍しい女性の城主として実権を握っていたという史実に由来して、いわむらは「女城主の里」と呼ばれています。
NHKの朝ドラ「半分、青い。」のヒロイン「鈴愛」の故郷である梟町の「ふくろう商店街」は、岐阜県恵那市岩村町の城下町が舞台になっています。。江戸時代から続く古い町並みの景観を、全長1.3kmにも渡って残しています。

この地で200年お酒を作り続ける蔵元・岩村醸造です。20年前までは酒や米の運搬に使われていたというトロッコの線路に沿って、酒蔵の中を見学しました。
























岩村の古い町並み














1185 年(文治元年)、源頼朝の家臣「加藤景廉」が遠山荘の地頭となり、景廉の長男景朝が 岩村城を築き、遠山氏を称しました。 戦国時代末期、城主の「遠山景任」が病没し、養子として迎えていた織田信長の五男「御坊丸」がまだ幼少であったため、その夫人(織田信長の叔母)が実質的な城主として、領地を 治めていました。いわゆるおんな城主「おつやの方」です。 おんな城主は大変聡明で美しく、領民に慕われていたそうです。 1572 年(元亀 3 年)、武田信玄の 24 将のひとり「秋山虎繁(信友)」が侵攻してきました。 おんな城主は自ら采配を振るい、信長の支援を待って籠城作戦に出ました。しかし、この時、信長は長島の一揆などで前に進めずにいました。籠城は 3 ヶ月にわたり、城内の食糧も不足 して来たところ、虎繁から女城主を妻とすることを条件に無血開城を申し入れてきました。 おんな城主は苦渋の末、城兵や領民の命を守るため敵将との結婚を決意し、開城しました。 その後の数年間、おんな城主は虎繁とともに、城の普請や城下町の守備に勤しみ、平和な日々を 過ごしました。 しかし、御坊丸は信玄のもとへ人質として送られてしまい、岩村城も乗っ取られてしまった ことに信長は黙っていませんでした。 1575 年(天正 3 年)、長篠の戦いに武田勝頼軍が敗戦したことにより、武田と織田の勢力が 逆転し、信長の嫡男「織田信忠」率いる織田軍が攻め入りました。この時も半年に及ぶ籠城 で城を守りましたが、武田の援軍も望めず、信長からの条件を呑み、開城しました。その条件とは、領民を守り、おんな城主と虎繁の命を守るという約束でした。しかし、信長はこれを反故にし、夫妻は磔刑に処されてしまいました。

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