第一は、最近、日本人は、独りで住むのに慣れてきた。これは、稲作文化の崩壊と関係していないかと言うこと。
第二は、なぜヨーロッパにはあえて人々が集まるような広場などの施設や機能があるのか?逆に日本にはないのか?
まず第二について。
日本人は、人が集まっているとなんとなく安心する。集団行動が好きな国民性だった。
人々が集まるのは、「集落」とか、「集会」といった言葉があるように、もともとは農村の特徴だった。日本の農村には散居はあまりない。稲作文化を基本とする日本民族は、低湿地地帯に額を寄せ合って集約的な農業をしていた。そうした事が群れるのを習慣とする国民性を作り上げたのではないか。
その点ヨーロッパ狩猟民族は、群れて住むと一人当りの分け前が減るので勢い家族単位かせいぜい機能できる範囲の小グループを形作る。しかし週に一度は教会で集まる機会を作る。ヨーロッパには、教会とか町の広場とか、バラバラな人々が、より集まり易くなるための仕組みが伝統的に作られている。
畑作文化と狩猟文化のヨーロッパ人は、同じことをしていてはエサにありつけない。隣と違うことをする必要がある。
しかも、畑作、麦というのは稲作に比べ人口扶養力がない。だからバラバラに住まないと駄目なわけだ。
その地域の人口を麦だけで養うということは困難で、そのため大きなメッシュのなかにポツンポツンと住む事になる。
しかし日本の農村では日常的に鼻を突き合わせているのだから、あえてみんなが集まるような所を作る必要はなかった。皆んなで集まって生活する、これは稲作文化そのものだった。川の両側に水をひけるような湿地帯があれば、そこに田んぼが作れる。そこにまとまって住むことになる。洪水が来れば皆んなでこれに対処する。これは日本だけでなく、中国、東南アジアも皆んな同じなわけで、稲作地帯は皆んなそうですね。ただし、中国は華北の畑作文化と揚子江の稲作文化が融合している。
畑作文化はどちらかというとヨーロッパ型。そうした違いはあるが、東アジアはおしなべて稲作文化といっていい。それは皆んながまとまって住む、集合して住む。即ち、「集居」ということが伝統的に作られてきており、その影響があり、集まって住む方が私共は安心する。
ところがその人々が群れ集まるという我々日本人が安心する感性は、その後、都市の中に受け継がれることになる。都市でムレ(群れ)住むことになり、逆に農村はムレないから魅力がなくなった。
次に第一について。
よかれ悪しかれ、自然に集まる精神に影響を与えていた、コメ、稲作の優位性がくづれた。このことがどうも一人で住む、ヨーロピアンタイプ、あるいは畑作地帯のタイプの日本人を増やしたのではないか?
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