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姫路から加古川へポタサイクリング(続編)

2017年01月31日 | 兵庫県内サイクリング

姫路から加古川へポタサイの続きです。


姫路で一番大きな市川の市川橋を渡って、1本松交差点を南へ旧西国街道を走ります。


山陽新幹線の高架を潜り左へ旧西国街道へと走ると、全く車が無くなり街道の雰囲気が漂います。


直ぐに山脇の四叉路に道標がありました。





道なりに走って行くと今度は1里塚跡があります。


JR山陽本線の踏切を越えて進むと天川橋があります。


ここは御国野町御着です。11番が上の写真の天川橋


ここは地図の8番、小寺大明神です。


五輪塔 豊臣秀吉の軍と戦い戦死した御霊の菩薩を弔うと書かれています。


天川城址(御着城) 小寺城主之奥都城の石碑。
赤松氏家臣小寺政隆によって築かれました。


地図の6番にある御着城址(天川城)。


余談

【今でこそ姫路城は世界遺産ですが、赤松貞範が姫山に城を築き、小寺氏が入れ替わり居城し、小寺氏の命で重臣の黒田重隆が姫路城主になります。
そして職隆(もとたか)、孝高(官兵衛)と続きました。白鷺城とはまるで違った城でした。】


御着城本丸跡(別称:天川城:茶臼山城)。
それまで小寺氏居城は姫山城(後の姫路城)にありましたがその後、御着城に居城します。
孝高(官兵衛)が城主で受け継いだ姫山城は御着城の出城に過ぎなかったそうで貧弱なものでした


梅が美しかった(城の建屋は姫路市役所東出張所)。


本丸跡地には黒田官兵衛 顕彰碑。H26年NHK大河ドラマで一躍有名になりました。


脇には目薬の木


近くに黒田家廟所(墓所)があります。



黒田官兵衛の祖父重隆と生母(明石氏)の五輪塔が並んでいます。


黒田官兵衛(孝高)は1580年秀吉の播磨平定の時、姫路城を秀吉に譲りと書かれていますね。
姫路城は羽柴秀吉の時に全面修築し、池田輝政の時にも更に全面修築します(この時に現在の原型が出来あがったと思われます)。その後、本多忠政にまた改修されました。


姫路市役所東出張所の裏手には当時の天川橋が再建されています。


先ほど走って来た地図の11番の場所に架かっていたのですね。








更に番から旧西国街道を走って行くと番へ。


番の大歳神社








天上に掲げられている絵馬の配置図があります。


見上げると相当風化した絵馬がずらりとあります。








土塀が美しいです。


土塀を隔てた隣には延命寺


明治天皇御着御小休所、この付近が旧西国街道の御着宿だったのでしょう。


長いので続きます。

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