西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

考古学の分節ー考遠古学、考中古学、考近古学ー

2010-07-15 | 私の考え出した言葉
普通、考古学は、文字で書かれた歴史を研究できない以前の人類の歴史を遺物、遺跡を基にして研究する学問と考えられている。

ところが、近世の江戸時代の考古学と称して取り組んでいる方もいる。普通、遺物の発掘は地上で行われるが、水中では、木簡に見られるように「木」などは長年腐らずに残るので、「水中考古学」と称して琵琶湖に潜っている方もいる。

実際、発掘を始めると、表層は現代に近く、そこからも色々な物がでてくる。昔、奈良女子大で大学院の建物を建てるとき、事前に発掘調査が行われた。で、中世の井戸枠も出てきたが、近代の茶碗の欠片や日章旗(小旗)も出てきた。どうも、これは「日露戦争」の時に、兵隊さん送り出しのため打ち振ったものではないか、とのことだった。

古い時代の地層に至る以前の地層からは比較的新しい物が出てくるが、それらも捨てずに保存する要があるだろう。文字の歴史書だけでは分からないこともありうるからだ。

で、これらの時代分節として、考古学を大きくは三つに分けて、考遠古学、考中古学、考近古学と呼んだらどうか、と私は思う。

話は一寸変わるが、最近、既に大半は「失われた」私の子ども時代の金沢の風景や暮らし(1941年ー1960年)を私は主に「思い出し」を中心にして描こうと取り組みだしている。

記憶は、言ってみれば「断片的」である。それらを考古学でやっている壷の断片をつなぎ合わせて「全体」を組み立てるように、断片のメモを前において、分かる範囲の全体地図や全体間取りなども睨みながら全体ストーリーを考えている。まあ「考近古学」の一つの試みである。

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