*公式サイトはこちら 歌舞伎座 29日まで
「新之助の助六大当たり」
2000年1月新橋演舞場で、市川海老蔵がまだ新之助だった22歳(年齢23歳→22歳に訂正しました)のときに初役で挑んだ『助六』について、上村以和於氏が日経新聞に執筆した劇評の書き出しである。技巧的には現在幾人かの助六役者中、最も未熟ではあるとしながらも、この助六は誰の助六よりも助六らしい。助六その人がそこにいると言い切る。
「生きている助六。その躍動感」。
若者が全身で大役をつとめたさまを目の当たりにした喜びがあふれ、こちらまで胸が躍るように嬉しくなる一文だ。
それから10年めの2010年4月、歌舞伎座さよなら公演の最後の演目が『助六』であった。そのとき助六を演じた十二代目市川団十郎が、いまこの世にいないことを誰が想像しただろうか。新しい歌舞伎座が開場した祝いの舞台、父が演じるはずだった助六を海老蔵がつとめる。華やかで賑々しい『助六』なのに胸がつまる。
初役の助六と、何度も演じて「すっかり手に入っている」(朝日新聞劇評)とのことだが、どこがどうなのか自分にはしかとわからず、ずいぶん喉を閉めたような声を出すのだなと思うくらいである。楽しみにしていた花道の出であるが、ずいぶんみやすくなった三階席とはいえ、やはりたっぷりとみることはできなかった。これはいたしかたない。
今回おもしろかったのは白酒売の尾上菊五郎と、通人の坂東三津五郎である。前者は白酒売りに身をやつしているが、じつは助六の兄である。弟にくらべると腕っぷしはさっぱり、しかし何とか喧嘩らしきものをしてみようと教えを乞う。足の踏み込みかた、啖呵の切りかた、いずれをとってもなよなよとして、それこそ何度もみて知っているのだが、何度みてもおもしろい。
また台詞に時事的な話題を盛り込みながら満場の笑いをかっさらう通人、これも「3年まえのさよなら公演では勘三郎がやったのに」と悲しみがよぎるけれども、坂東三津五郎が達者で惚れぼれするような通人ぶりをみせる。現在大流行中の「じぇじぇ!」も、「今でしょ!」も予想通り。客席は大爆笑だ。
十二代目団十郎が亡くなったことに触れないわけにはゆかず、現実には悲しいこともたくさんあるが、海老蔵に長男が生まれたことなど嬉しいできごともあって、「きっと天から見守ってくれるでしょう」とほろりとさせるあたり、この演目における通人の役割は、舞台と客席、虚構の世界と現実世界を軽やかに行き来し、つなぐことにあると実感させられた。
美しい人気役者が勢ぞろいする華やかな舞台だが、これといってテーマがあるわけではなし、はじまってから主役の助六が登場するまでに小一時間もかかるなど、「ちんたらした芝居だなぁ」(失礼)という印象でとらえていたのだが、先月の『廓文章』と同じく、この演目がもたらす幸福感はもっと深いところにある。
長い年月を越えて上演がつづき、観客に愛されていることには理由があるのだ。
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