因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

燐光群 創立30周年記念第二弾『帰還』

2013-06-06 | 舞台

*坂手洋二作・演出 公式サイトはこちら 下北沢・スズナリ 9日で終了(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12 そのほかえびす組劇場見聞録1,2
 本作は2011年、劇団民藝の大滝秀治を主演に初演されたものである。大滝の最後の舞台出演をみのがしたことは返すがえすも大変な悔いであり、このたび坂手のホームグラウンドである燐光群で上演の運びになって、これはぜひにと劇場に向かった。

 民藝で大滝秀治が演じた役は、藤井びんが担う。同じ作品とはいえ、劇団も劇場も俳優も演出もちがうのだから、劇団にとっては新作の初演である。しかしながら考えるほどに、このような経緯で上演される作品は、なかなかめずらしいのではなかろうか。

 何十年ぶりにかの地を訪れた老人を演じる藤井びんは、みるほどに大滝秀治のすがたを彷彿とさせる。声や演技の質もことなる俳優であるのに、この不思議な感覚はなぜだろう。

 と、出だしは身を乗り出すほどに順調だったのだが、次第に集中がとぎれ、話の運びを追うことすらむずかしくなってきた。当日の自分の体調や、本作に関連するさまざまな事柄に対する知識や考察の足りないことも理由のひとつであろう。
 なぜここまで舞台に入り込めなかったのかを考えるに、おそらく俳優の演技の質、とくに台詞の勢いや温度に自分の感覚がついてゆけなかったためと思われる。主演の藤井びん、息子を演じた猪熊恒和の台詞は耳で聴いたものを頭で内容を理解し、だんだん心へおなかへ落としてゆくことができる。主人公が訪ねてゆく女性役の松岡洋子も台詞も何とかなった。
 しかしそのほかの人物の台詞がどうにも自分に落ちてゆかない。耳では聴いているのである。なのに届かない。スズナリの空間で発するには、とくに若手俳優の台詞はいささか強すぎ、大きすぎるのではないか。

 劇団民藝の俳優は、この台詞をどのように発していたのだろうか。人物のことばというより、劇のテーマに関する情報、訴えが客席にむかって途切れることなく放出されているかのような台詞である。その激しいリズム、テンポに自分の感覚をうまく「のせる」ことができるなら、舞台を楽しむことができるだろう。昨年の『星の息子』では主演の渡辺美佐子の導きによって自然に引き込まれたのだが。

 自分の努力不足や対応力の弱さを棚上げするのは情けなく心苦しいが申しわけない、今回の舞台について考える力が自分にはない。戯曲を読んで大滝秀治さんを必死で動かすか、わずかに残っている今回の舞台の印象を、これも必死で蘇らせるか、それともまったくべつのものとして、自分の脳内であらたに作り上げてゆくか・・・。

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