*鳥越永士郎 作・演出 公式サイトはこちら 新宿タイニイアリス 12日まで
劇団初見。2010年1月に旗揚げして今回が第6回公演となる。あいだに再演の演目もあるものの、数か月のスパンで次々に新作を上演しているわけで、主宰はじめ劇団員の強いフットワークと創作活動への意欲が感じられる。
はじめて知ったのだが、「けったマシーン」とは、名古屋弁で自転車のことだそうだ。それを劇団名に掲げる彼らのモットーは、「演劇は自転車のようなものだ」。自転車は、歩いている時とはちょっとだけ違う景色を見せてくれる。演劇は、お客様にいつもとはちょっとだけ違う日常を見せてくれる。そんな演劇を目指しているとのこと(当日リーフレットより)。
自分たちの日常の風景や出来事を丁寧に描きだす。そんなイメージを抱いて初日に臨んだ。
高校生の男女6人が他愛ないおしゃべりをしている。そこに担任教師についての事件が知らされて、物語はそのときにいたるまでの夏の日々をふたり芝居の連続によって描いていく。
これといって特殊な設定や人物があるわけではない。高校生ひとりひとりの事情はさまざまで、部活やバイト、恋のさやあて、宿題の苦労などのやりとりのなかから少しずつ家庭の事情やそれぞれが抱える悩みや屈託がみえてくる。現実の高校生の実情はよく知らないものの、「みんな結構まじめにがんばっているんだなぁ」という感じだ。ただそこから何かがあぶりだされてきたり、急激な展開を予感させたりするものはなく、点描が連続する印象。
明らかに異物として存在するのが担任教師であり、彼の言動が高校生たちの日常に軋みをもたらす。うつ病などの精神疾患で休職する教職員の増加が深刻な問題となっているが、その現実を凝縮したようなキャラクター、造形である。彼がそこまで追い込まれて病んでいく背景が描かれていないためにやや説得力を欠き、彼の言動の数かずは予想を大きく超えるものではない。ほとんどの生徒から嫌われ、軽蔑され疎んじられるなかで、ひとりだけ理解をみせる男子生徒がいる。彼が特別に寛容なのではなく、「確かにクラスにひとりはこういう男子がいるな」と思わせる。このさりげない見せ方は、地味ながらすごいと思うのだ。彼と教師との関わりがもう少し織り込まれてあったら、と想像する。
題名の「エピローグ」が意味するものを考える。高校生たちの夏に、ひとりの教師のことが消しがたい痛みをもって影を落とした。誰かが決定的な原因を作ったわけではないが、誰も「自分は関係ない」と言い切れないのだ。彼らは自分たちが関わったひとりの教師の人生を背負って生きていく。むしろ物語はここから始まるといってよい。
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