*椎名泉水作・演出 公式サイトはこちら 相鉄本多劇場 公演は25日まで
子供のころ、時々入る職員室はちょっと特別な場であった。緊張はするものの、教室とは違う先生の様子が感じられて楽しいのである。先生は子供にとって絶対的な存在だった。その先生のほんの少し素顔や本音が見え隠れするのがおもしろかったのを覚えている。ソルトの新作は、職員室でエアコン工事があるとかで、空いている教室で行われる会議の様子が描かれたものである。職員室そのものではない場所が敢えて設定してあるところに興味がそそられた。
開幕すると若い女性(教育実習生)が出て来て、舞台下手の黒板にこの日の議題を書き始める。まずは第37回知部戸祭(ちべとさい。体育祭か?)についてという大きなテーマがある。しかしそこから番号順に書かれる議事を読んでいると、この学校は相当な問題校であるらしい。最初の検討事項が「牛山先生を呼び戻したい」。心身を病んで休職中の教師がいることがそれだけでわかってしまう。事項はぜんぶで10項目もあり、それが板書される時間が思ったより長く、序幕から少し「待たされる」感覚を覚えた。
今回の舞台の特徴は、生徒がひとりも登場しないこと、登場人物の出入りが最初と最後だけで、ほぼべったりと舞台上にいることである。前者については用務員が日替わりゲストで登場し、多少会議の場を混乱させたりもするが、基本的には人物の流れがなく時間の経過もそのままの、いわゆる「ベタ」な作りである。この方法のメリットは観客の視点が分散せず、舞台に集中できる点である。しかしそうするためには、その場で緊迫したやりとりがあること、人物たちが議論する中でそれぞれの隠された背景が垣間見えたり、ほんとうの問題があぶり出されることや、登場人物の力関係が次第に変化していく様子などが必要であろう。適切な例ではないが『十二人の怒れる男たち』のように。
「底辺校」という言い方があるそうだが、知部戸中学はまさにそうらしい。しかし教師たちの様子は思ったより明るい。めげずに頑張っているのか、それとも諦めてしまっているのか。いまほど教師という職業が敬遠され、教師と生徒と父兄の関係が三すくみのように難しくなっている時代もないと思う。そういう現状に対しての問題提起の要素や、作者の意図は感じられなかった。「職員室」の生態ではなく敢えて「職員会議」という一定の時間を描いたのはなぜだろうか。客演陣の充実は見事だが、演技が少々作りすぎの俳優もある。前回公演の『7』(1,2)が素晴らしかったので、今回はコメディの路線とわかってはいたし、いたずらに比較すまいとは思っても不完全燃焼の気持ちであった。『職員会議』をシリアスな作りで表現したらどうなるのだろうか…などとと考えていたら終演後反対方向の電車にのってしまった。日本大通り。何をしているのでしょう。
初日ということもあって、舞台も客席もまだ温まってないようであった。繰り返すが前回公演に比較すると、残念ながら受け取るものは深くなかった。しかしさっさと家路につけず、考えあぐめいて反対の電車に乗らせてしまう何かがこの舞台にはあるということだ。それは何だろうか。嬉しいことに、また宿題が与えられたのである。
子供のころ、時々入る職員室はちょっと特別な場であった。緊張はするものの、教室とは違う先生の様子が感じられて楽しいのである。先生は子供にとって絶対的な存在だった。その先生のほんの少し素顔や本音が見え隠れするのがおもしろかったのを覚えている。ソルトの新作は、職員室でエアコン工事があるとかで、空いている教室で行われる会議の様子が描かれたものである。職員室そのものではない場所が敢えて設定してあるところに興味がそそられた。
開幕すると若い女性(教育実習生)が出て来て、舞台下手の黒板にこの日の議題を書き始める。まずは第37回知部戸祭(ちべとさい。体育祭か?)についてという大きなテーマがある。しかしそこから番号順に書かれる議事を読んでいると、この学校は相当な問題校であるらしい。最初の検討事項が「牛山先生を呼び戻したい」。心身を病んで休職中の教師がいることがそれだけでわかってしまう。事項はぜんぶで10項目もあり、それが板書される時間が思ったより長く、序幕から少し「待たされる」感覚を覚えた。
今回の舞台の特徴は、生徒がひとりも登場しないこと、登場人物の出入りが最初と最後だけで、ほぼべったりと舞台上にいることである。前者については用務員が日替わりゲストで登場し、多少会議の場を混乱させたりもするが、基本的には人物の流れがなく時間の経過もそのままの、いわゆる「ベタ」な作りである。この方法のメリットは観客の視点が分散せず、舞台に集中できる点である。しかしそうするためには、その場で緊迫したやりとりがあること、人物たちが議論する中でそれぞれの隠された背景が垣間見えたり、ほんとうの問題があぶり出されることや、登場人物の力関係が次第に変化していく様子などが必要であろう。適切な例ではないが『十二人の怒れる男たち』のように。
「底辺校」という言い方があるそうだが、知部戸中学はまさにそうらしい。しかし教師たちの様子は思ったより明るい。めげずに頑張っているのか、それとも諦めてしまっているのか。いまほど教師という職業が敬遠され、教師と生徒と父兄の関係が三すくみのように難しくなっている時代もないと思う。そういう現状に対しての問題提起の要素や、作者の意図は感じられなかった。「職員室」の生態ではなく敢えて「職員会議」という一定の時間を描いたのはなぜだろうか。客演陣の充実は見事だが、演技が少々作りすぎの俳優もある。前回公演の『7』(1,2)が素晴らしかったので、今回はコメディの路線とわかってはいたし、いたずらに比較すまいとは思っても不完全燃焼の気持ちであった。『職員会議』をシリアスな作りで表現したらどうなるのだろうか…などとと考えていたら終演後反対方向の電車にのってしまった。日本大通り。何をしているのでしょう。
初日ということもあって、舞台も客席もまだ温まってないようであった。繰り返すが前回公演に比較すると、残念ながら受け取るものは深くなかった。しかしさっさと家路につけず、考えあぐめいて反対の電車に乗らせてしまう何かがこの舞台にはあるということだ。それは何だろうか。嬉しいことに、また宿題が与えられたのである。
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