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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ネットで観劇☆アガリスクエンターテイメント番外公演『ナイゲン』(朗読版)

2020-05-30 | 舞台番外編
*冨坂友作・演出 公式サイトはこちら 5月30日(土)Aプロ、31日(日)Bプロ
 「12人の優しい日本人を読む会」で、ベテラン俳優を相手に伸び伸びと腕を振るった冨坂友が、自らの作品をホームグラウンドで、朗読版として発信した。この『ナイゲン』は、2012年の初演以来、多くの外部団体がそれぞれ自分たちの「版」として上演し、高校や大学の学祭においても用いられているという、特殊で幸福な歩みを続けている作品である(参考サイト→12)。劇団での上演は2015年の全国版を以て卒業したのだが、このたびのコロナ禍にあたり、朗読版でもう一度!となった由。待ちわびていたファンも多いことだろう。自分は昨年秋の日本のラジオ公演『ナイゲン』<暴力団版>が初観劇で、本家本元を見逃したことが残念でならなかったが、コロナ禍にあって、オンライン演劇による初見が叶った。
 
 物語の構造は三谷幸喜の『12人の優しい日本人』の本歌取りである。議題をめぐる喧々諤々が脱線し、暴走する様相、会議に集う面々一人ひとりの事情やら背景やらが炙り出され、紛糾の極みに達するが、意外なところから全員一致へ導かれていくという流れを重修する。高校の文化祭における各クラスの出し物についての会議であるから、メンバーは全員高校生である。学校側から突然、「節電エコアクション」の要請があった。ひとクラスが、自分たちの企画を諦めなければならない。それぞれに趣向を凝らし、クラスメイトたちと力を合わせてきた企画を諦めたくない。1学年✕3クラスの代表に、実行委員会の議長、文化書記、文化副、監査が加わった13人が、下校時刻が迫るなか、必死の攻防を開始する。

 登場人物が画面に顔を揃え、会議が始まる。議長の背景にはいかにも学校にあるような時計が、文化書記の後ろには黒板があり、採決のときはそこに記入する。会話のタイミングや画面に対する立ち位置なども適切で、書類をやりとりする所作も自然で、実に手慣れており、安心して視聴した。人物の立場、性質、誰と誰がつき合っていて浮気した等々、賑々しい相関関係まで巧みな描き分け、激しい会話の応酬など、本歌取りの域を軽がると超えて、見る者をぐいぐいと引き寄せる。

 陪審員裁判でも文化祭実行委員会でも極道の月例会でも、自分の主張を理解して、受け入れてほしいという願いは変わらない。衝突や決裂に傷つきながら、それでも「話し合いましょう」と根気強く議論を続ける。結論に導かれるまで過ごした時間は無駄ではなく、最後には温かな共感を以て解散する。この会議のプロセスには、観る者を魅了するものがあり、「最後はまとまるだろうな」と予測はしていても、「よかったなあ」、「みんなよく頑張った」と思わず涙するほど心に響くのである。

 ほとんど企業の中間管理職の悲哀を湛えた者、薹の経ったOLのような貫禄で相手を論破する者などが繰り広げる痛快な会話劇であるが、本作には、馬場のぼる原作の井上ひさしの戯曲『11ぴきのねこ』が重要なモチーフとして用いられており、終盤に近付くにつれて、もっとも基本的な「演劇とは何か」という演劇論、そして熱烈な「演劇讃歌」に展開してゆくのである。

 19時から冨坂の前説にはじまり、20時20分ころに前半を終了して40分の休憩を挟み、21時より後半となる。歌舞伎公演でも長くて30分の休憩であるが、自宅での視聴の場合、小一時間ほどのインターバルは適切であると思う。途中音声の途切れがちなメンバーがあったり、後半が始まると台詞にエコーがかかって聴きにくくなったり、会議が終わった辺りで画面が固まるなどのアクシデントがあったが、スマホも併用して無事に視聴を終えた(原因のほとんどは、おそらく自分のパソコン環境)。当日パンフレットや、作中で使用する「内容限定会議資料」もデータで頒布されるなど、「観客参加型」の一面もあって、改めて口にするのは気恥ずかしいが、「やっぱり演劇って、いいな」と思った次第である。
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