因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

特別講義「唐十郎の演劇世界 2024」

2024-10-08 | 舞台番外編

*公式サイトはこちら(明治大学唐十郎アーカイヴ) 10月8日(火)猿楽通り特設紅テント
 唐組・第74回公演『動物園が消える日』初日観劇の余韻覚めやらぬまま、休演日の紅テントへ。昼間の紅テントは穏やかで、どこかユーモラスでさえある。毎年恒例、公演期間中のテントにおいて、文学部演劇学専攻・伊藤真紀教授の「同時代日本演劇B」の一コマを「特別講義」として、講演と唐十郎作品の朗読ワークショップが行われた(2017年の本作観劇blog記事のなかに、同年のワークショップについての記載あり)。上野の古びたビジネスホテルのロビーの装置を目の前に、客席前から3列目に座ってみた。ここは本番中なら水よけのビニールシートが渡される好位置である。履修の現役学生はもちろん、自分を含め一般社会人の参加もあって、テント内は夜とは違う熱を帯びはじめた。

 ★第1部 講演「唐十郎の演劇世界」
  講師:樋口良澄(関東学院大学国際文化部客員教授)
 唐十郎の作品の特徴と魅力について、劇空間と現実の連続性、劇構造、台詞における虚構と現実の重なり、テントという幻想空間という視点から、はじめて唐作品に触れる学生にもわかりやすく解き明かす。唐十郎とその仲間がどのような演劇を作ろうとしたのか。それまでの日本の演劇の歴史、西欧の近代演劇に対して、どんな挑戦を続けているのかがよく理解できた。
 ★第2部 ワークショップ『動物園が消える日』を読む
  講師:久保井研(劇団唐組座長代行、俳優、演出家)
 用意された本作上演台本の第1幕を、参加者から希望を募って読み進めていく。久保井研の戯曲に対するポイントは以下の通り。
 1,できるだけニュートラルに読む。
 2,作中の不可解なものを頭に残しながら読む。
 3,感情で読まない。

 自分から「読みたい」と挙手するだけあって、明大生の朗読は声の出し方、読みぶりもなかなか達者である。あの唐組の紅テントの現場で唐十郎戯曲を読むのだから気持ちも上がり、しっかりと読みたいと思うのが人情であろう。しかし久保井は決して「うまいですね」などと言わない。久保井いわく「できるだけニュートラルに。感情で読まないように」、「劇作家はさまざまな謎を仕込み、物語が進むなかで少しずつそれを解き明かすものを見せていくのだから、劇作家の手に引っかからないように」。中でも「感情で読まない」が心に残った。これは「感情を込めない」とは違うのだ。

 これは自分なりの解釈だが、最初のうちは戯曲が読めないこと、わからないことを怖がらなくてもよいのではないか。難しいところ、引っかかるところがあったら、また元に戻って読み返せば、2度めの読みはどこかが変わっているはず。その作業を倦まずたゆまず続けていくことに、演劇創作の醍醐味があるのではないかと思う。

 戯曲を信じ、その世界に身を委ねることと、台詞一つひとつ対して、時には疑いすら持つことは決して矛盾しない。素直に受け入れれば、躓いたことに対しても素直に「なぜだろう?」と思えるのではないか。俳優には、劇作家が心血を注いで書き上げた戯曲を立ち上げていく責任がある(喜びが与えられているといってもよい)。盲目的な受容や無批判な姿勢ではなく、素直に受け入れ、素直に疑問を持ち、その理由を探り、試行錯誤を繰り返す。自分の役や台詞だけでなく、相手役の存在(ヒントの宝庫)、舞台美術や小道具、音や明かりに至るまで謎解きの鍵はさまざまなところにある。その答をみつけ、立ち上げていくのが稽古であろう。その過程には劇作家、戯曲、演出家、俳優のあいだに濃密で刺激的で喜ばしい交わりが生まれるのではないだろうか。信頼しつつ疑い、導きながら裏切る。まことにスリリングで甘美な交わりである。

 久保井研のワークショップは、俳優の演技指導でも戯曲の解説でもない、唐十郎戯曲との付き合い方を示すものであった。簡単ではない。根気とエネルギーが必要だ。失敗を重ねることもあるだろう。しかし唐十郎戯曲は試行錯誤も含めて受け入れ、新たな劇世界の構築に繋がっていく。久保井の淡々とした口調のなかに、その確信を感じた。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 劇団唐組・第74回公演『動物... | トップ | 名取事務所公演 現代韓国演... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台番外編」カテゴリの最新記事