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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

時間堂『花のゆりかご、星の雨』

2009-06-05 | 舞台
*黒澤世莉作・演出 公式サイトはこちら 渋谷ルデコ4F 14日まで
 黒澤世莉の演出する舞台をみるようになってまだ1年半足らずだが(1,2,3,4)、翻訳劇に対してきちんと向き合い、俳優に作り物の演技をさせることなく、拙い部分はあっても客席に自分たちの思いをまっすぐ届けようとする姿勢が強く伝わってくる。今回はその黒澤が5年ぶりに書き下ろした新作の公演となった。

 公演チラシやHPはじめ、当日リーフレットにも本作のあらすじが相当な部分まで記されており、それを読んだ観客は、これから始まる物語がどのような内容かほとんどわかって臨むことになる。少しもったいなく思ったのだが、実際は記載された話に辿り着くまでの助走が結構長く、なかなか主人公が登場しない。
 ガランとしたルデコのスペースで俳優はすぐ目の前にいる。東京下町の骨董屋が舞台だが、大道具小道具はほとんどないと言ってよい。俳優は1本ずつ扇子をもち、それを椅子を修理する道具や紅茶を運ぶお盆、ワイングラス、番傘などに見立てて演技をする。舞台奥に楽器などが置かれ、出番のない俳優はそこでギターをつま弾いたり、可愛い音のする打楽器(というのか)を使って、雨音や箒で床を掃く音などを表現する。実にシンプル、アナログな手法だが不自然さや気負いやあざとさは感じられない。主人公が手に入れようとした1本のソムリエを巡って、舞台は予想外の展開を見せる。

 これが映像なら、骨董屋の室内はよくよく作り込んだ小道具類で埋めつくされ、そのあれこれによって物語の空気を感じ取れるだろうし、物語の時間が前後するところも同様に、登場人物の衣服や髪型、家具調度にまで忠実な配慮が必要になるだろう。

 映画やテレビドラマではない、演劇ならではの手法を楽しむ機会は少なくない。斬新なアイディアや映像以上に人手もお金もかかったのではと思わせる贅沢な演出に驚くこともあるが、今夜の舞台には手作りの温かさと手法に溺れない控えめな印象があって、とても好ましく感じられた。

 モノはモノにとどまらず、それを作った人、贈った人、受け取った人の思いがしみ込んでいる。また連綿と続く家族、人と人との営みには目に見えない必然の交わりがある。特に新しいことを示したり、何かを強く訴えるものではない。しかしこの夜の雨のように静かで清々しく、偶然居合わせた友人とともに、終演後は温かな気持ちで胸が満たされ、家路につくことができた。6月最初の1本は、雨の日の贈り物になった。
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