裏山で「福寿草」が咲き、「ふきのとう」は春の味覚をプレゼント。
てっきり、平年より早い「春到来」と思っていた。
2月26日 ふきのとう
ところがドッコイ、問屋は卸さなかった。
冬到来、それも寒中を思わせる吹雪をともなう真冬。
行動予定が狂ってしまいました。
やっと天候も回復、今度こそ本物の春でしょう。
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暖冬のため、活躍のお褒めの言葉をもらえそうもなく、
小さくなっていた品々も、ホットしたことでしょう。
そう、ポカポカ電気毛布ですよ。
最少のダイヤルで過していたのでは。
昔のわが家では、布団の中に風呂敷で包んだ湯たんぽを入れた。
たしか、セトモノの湯たんぽだった。
セトモノの蓋はうまく閉まらず、朝になるとお湯が漏れていることも
あった。
セトモノの時代からブリキの時代になった。
ブリキは熱を通しやすく、軽いヤケドはひんぱんだった。
私の手伝いは、湯たんぽにお湯を入れる役。
やかんの口からこぼさず入れることは、子供の仕事としては
難しかったなあ。
いつもこぼしては叱られた、という記憶がある。
先日、市立函館博物館で珍しいものを目にした。
湯たんぽの独占化に「待った」、をかけた「豆炭あんか」です。
品川あんか
豆炭1個で一晩中ポカポカ。
厚い布で包んで使った。
たしか、「品川あんか」というのを父は愛用していた。
熱さを調整する石綿が劣化したり包みがはずれての低温ヤケドが
要注意だったが、父はこのヤケドを時々していた。
ある時お腹をヤケド。
治りが遅く大変だったことを覚えている。
低温やけどは患部が深く、恐いですね。
また、豆炭にうまく火がつかず、一晩中寒い思いも。
そのたびに母は、「包み方が悪いからだ」「火が点いたか確認しない
からだ」と父に叱られていたなあ。
豆炭
昔は、「湯たんぽ」や「豆炭あんか」は冬の必需品だった。
毎日この用意をすることが家族の日課だった。
今は便利になりすぎて、こういう思い出に残るようなことが少なくなった。
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