新函館北斗駅を利用して「楽しもう・道南観光」
更新は 私が「元気で自遊人」している写真記録の便りです
真夏の散策・イカ釣り漁船&赤レンガ倉庫群
行雲流水金森赤レンガ倉庫群⑫夜の函ぶら探訪・中尾仁彦案内人
函館市・箱館歴史散歩の会・主宰 中尾仁彦さん案内の「西部地区ライトアップ建造物巡り」
中尾案内人は80歳を超えてますが健脚です
赤レンガ倉庫群は函館の観光名所のひとつです
ここ一帯は江戸時代・幕末に造られた人工都市だそう
先人の知恵を聞いてです
中尾案内人の探訪主旨
函館山からの夜景は 香港 ナポリとともに「世界三大夜景」のひとつとされています 函館山からの夜景の素晴らしさは必見ですが 麓の西部地区の元町教会群や函館ベイエリアのライトアップされた歴史的建造物のナイトウォッチングも昼間とは違った幻想的な魅力にあふれ もう一つの函館の顔をのぞかせます やさしく照らし出される「灯」に誘われてロマンチックな風景を間近に見る散策に出かけて見ませんか
コロナ前は130人を超えた参加者でしたが 今は30~40人ほどに制限しての気遣い案内です
連載 第206回西部地区ライトアップ建造物巡り
連載⑫ 金森赤レンガ倉庫群
函館湾の海側の道を西に進むと、ほどなく七財橋という名の太鼓橋にさしかかり、橋の手前から、橋がまたぐ堀割の向こうにかけて赤レンガ倉庫が立ち並んでいます。
金森赤レンガ倉庫群で、歴史を経た倉庫の中は洒落たショップやレストランにリニューアルされています。
堀割の両側に立つBAYはこだて(現在は金森赤レンガ倉庫群に吸収されている)は旧日本郵船の倉庫で、その西側に連なる金森洋物館、函館ヒストリープラザ、金森ホールが、明治時代に建てられて以来の金森倉庫です。
赤レンガ倉庫群以外にも洒落たカフェやレストランが多く集まるこの一帯は、ベイエリアと呼ばれ人気スポットとなっていますが、ベイエリアから市電通りにかけては元々すべて海でした。まずは江戸幕府が最初に箱館を直轄していた 19 世紀の初頭の埋め立てで、幕府の築島と高田屋嘉兵衛の造船所が誕生し、さらにペリーの来航で幕府が再度箱館を直轄した 19 世紀の後半、地元の商人による埋め立てで今の赤レンガ倉 庫のある土地が出現しました。開港により内外からの人・モノの往来が増えたことで都市化が進み、もとより平地に乏しいこの町で、土地不足がより深刻になったことによるものです。
また高田屋嘉兵衛の時代以来、埋め立てと並行して堀割、桟橋などの係留場や、荷さばき施設といった港湾機能が整備されてきました。函館のベイエリアは江戸時代に造られた人工都市でもあったわけです。
そして迎えた明治時代、政商として力を伸ばした三菱は、明治8(1875)年、東京・函館間に定期航路を開設し、明治 15 年には、BAYはこだてのある一帯に 15 棟の壮大なレンガ倉庫を建設しました。明治 18 年、三菱と共同運輸の合併により日本郵船倉庫となったこの倉庫は、自社の取り扱い貨物を保管するための倉庫でしたが、函館の豪商・初代渡邊熊四郎は、明治 20 年、 函館で最初の営業倉庫として金森倉庫を開設します。
海運業の隆盛とともに金森倉庫は次々と増築され、日露戦争後は露領漁業(ロシア領海で行われたサケ、マスを中心とする漁業で北洋漁業の前身)関連の物資も増加し発展の一途をたどります。明治 40 年の大火では全 21 棟が 類焼し甚大な被害を被りますが、その後間もない明治 42 年には不燃質 倉庫として再建します。それが現在の金森赤レンガ倉庫です。
戦後は政府指定倉庫として海産物や米、麦を扱う傍ら、2月、3月は北洋漁業の物資の保管に利用されますが、昭和 50 (1975)年 あたりから、北洋漁業の縮小や海上から陸上へと貨物の輸送形態が移行したため斜陽が訪れます。付近には閑散とした雰囲気が漂いますが、
旧函館郵便局を再利用したはこだて明治館に続き、昭和 63 年にはこれら倉庫群もショップやレストランとしてリニューアルされます。
港町・函館の歴史を刻んだ建物は、目の前に海、背後には函館山というロケーションともあいまって、一躍函館を代表する観光スポットになるとともに、はこだて明治館と同様、全国の古いレンガ建築再利用のモデルにもなってきました。
ただし赤レンガ倉庫の一部は、今も現役の倉庫として使用されています。
また赤レンガ倉庫に隣接して、東本願寺函館別院の施工を手がけた木田保造により大正5(1916)年に建てられた鉄筋コンクリート造りの通称「 34 番倉庫」があり、こちらも 現役の倉庫として使用されています
毎年「赤レンガ倉庫群前」で開催される観光イベント
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