注目されていた20日の植田和男・日銀総裁の会見は、「安全運転」に終始した結果、ドル/円もややドル高・円安に動いただけで乗り切り、日銀としては大成功だったのではないか。また、8月上旬以降の円高が輸入物価上昇を通じた物価全体の上振れリスクを減少させ、利上げを判断する際に時間的な余裕があると指摘したことは、ドル売り・円買いを仕掛けようとしていた短期筋の動きを封じることになった。
同時に今後は賃金上昇の継続やサービス価格上昇への波及などを注視していく姿勢も鮮明にし、次の利上げ判断では賃上げとサービス価格の上昇、消費動向が重要である点を明確にした。10月の金融政策決定会合で公表される経済・物価情勢の展望(展望リポート)の中で、賃上げとサービス価格、消費動向で判断を前進させることができるなら、次の利上げの姿が浮かび上がってくると筆者は指摘したい。
<輸入物価起点の上振れリスク減少、判断に時間的余裕ある>
この日の会見では、日銀が展望リポートで示したような経済・物価見通しに沿った動きが確認できれば、引き続き政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していくというこれまでの見解をあらためて表明した。
一部の海外勢を含めた短期筋は、植田総裁が上記のような利上げパスに関する発言をすれば、円買いを仕掛けようと身構えていたが、反対に円安方向に振れる結果になった。
最大の要因は、8月上旬以降の円高進展で輸入物価上昇を起点にした物価上振れのリスクが「相応に減少している」と明言。合わせて経済・物価状況と利上げによる緩和度合いの調整に関する判断をする際に「確認していく時間的余裕がある」と指摘したことだ。この結果、ドル/円は143円台後半までドル高・円安が進んだ。
市場の一部では、米連邦公開市場委員会(FOМC)と日銀金融政策決定会合の2大イベントを経て、ドル安・円高が進展すると予想する声が根強くあり、140円割れを想定する参加者も少なくなかった。もし、そうなれば、円高→日本株安という8月上旬のような市場変動の再来も予想され、日銀の想定する利上げパスにもかなりの影響が出かねないリスクがあった。
だが、植田総裁は市場変動をじゃっ起しかねない発言を回避し、複数の質問にも同じような趣旨で回答するなどの「安全運転手法」を駆使し、相場変動の地雷原を乗り切ったと言えるのではないか。
<賃金上昇や消費データ注目、判断引き上げてよい材料>
同時に次の利上げ時期を判断する際のヒントに関し、かなりの情報を提供したと筆者は考える。まず、賃金動向をかなり重視し、データが高めに出ていることに手応えを感じている点について率直に認めている点を指摘したい。
所定内賃金が高めの伸びを示し、夏季ボーナスもしっかりと増加していることに植田総裁は言及した。会見では細かいデータの出所について説明がなかったが、日銀が重視している毎月勤労統計の共通事業所の所定内給与(一般)は7月に前年比プラス3.0%と高い伸びを示している。
これが消費に波及すると予想しているとみられ、植田総裁も会見の中で、日銀が出している消費活動指数が2024年第2四半期に増加に転じ、7月も増加が続いているほか、日銀のヒアリングの結果や高頻度データなどからも緩やかな増加基調が今後も続くとの見解を示した。
その上で、7月以降も日本経済は「(日銀の)見通し通りに動いている」とし、基調的な物価上昇率の判断を上げても「よいような材料」と指摘した。
<円高の物価への影響、米経済判断含め10月展望リポートで分析結果公表へ>
他方、米経済をはじめとする海外経済の動向がリスク要因であるとも指摘。米経済がソフトランディングするのか、それよりも厳しい景気動向になるのか先行きは「若干、不透明感を高めている」とも述べ、現状では国内の好材料と「相打ちしている」との表現を使って、利上げ判断に踏み込む時期が接近しているわけではないことをにじませた。
また、足元で140円台前半まで進んできた円高が国内物価に与える影響に関して、米経済がどうなるかという点を見極める中で、為替変動の物価への影響を分析し、10月に公表する展望リポートの中で判断を示してくとの方向性を示した。
<植田総裁が示した重視する5つのポイント>
さらに注視していくデータとして、1)秋以降も賃金上昇の動きが継続していくのか、2)最低賃金引上げの影響がパートの賃金などに具体的に出てくるのか、3)賃金引き上げの影響がサービス価格への転嫁継続として出てくるのか、4)来年の春闘への動きがどうなるのか、5)サービス価格に影響を与える消費の動向──などを挙げた。
サービス価格の上昇に関しては、多くの企業で10月に価格改定が予定されていることにも言及し、10月のサービス価格の変動を注していることにも触れた。
<10月展望リポート、市場との対話の節目になるか>
このように見てくると、国内の賃金上昇の動向やサービス価格、消費動向に一段と前向きの動きがあると日銀が判断すれば、10月の展望リポートでそうした情報を盛り込んで、市場への情報発信を積極化させる展開がありうると筆者は考える。
他方、リスク要因として提示した米経済のソフトランディングの行方は、米連邦準備理事会(FRB)が年内に50ベーシスポイント(bp)の利下げを実施するかどうかや、11月の米大統領選の結果にも左右されるため、10月の金融政策決定会合の時点で明確な方向性を見出すのは難しいのではないか。
したがって10月の日銀金融政策決定会合の段階では、国内における賃金から物価への波及、消費の堅調さを確認しつつ、本格的な利上げ判断をスタートさせるのは12月会合以降になると予想する。
この日の会見では、日銀の賃金や消費などへの積極的評価と米国などの海外経済や市場変動へのリスクをにらみつつ慎重に判断する姿勢を織り交ぜた絶妙の配分が目立ったと言えるだろう。