モロシになりそう
~類人猿
猿に咬まれた。
緩い坂を上っていて、突然、尻に衝撃を受けた。
後ろに猿がしゃがんでいる。目が合った。
歯を向けてギャーッと威嚇してくる。
こっちも、というか、〈こっち〉という意識なんか全然なくて、
咄嗟に、反射的に、動物的に、負けじと、恐れや怒りすら自覚せず、
ギャーッと叫んで睨み返した。向こうはさっと逃げた。
数十メートル先に男が二人いた。
歩み寄り、前にいる年嵩らしいのが声を掛けてきた。
「このあたりに猿が出るというんで調べに来た」とか。
薄笑い。
「普通、猿は、男には近づかないものなんですがね」
私が普通ではないと。
「あなたの髪の毛が長いから、女と間違えたんでしょうな」
違う。猿には、さっき会っている。
多分、あいつだ。
緩い坂を歩いて下りていたら、バウバウ、うるさい音が聞こえてきた。
男がオートバイにまたがっている。片足は地に着け、いつでも発車できる体勢。
ハンドルを握った手がくねくね。薄笑い。
バウバウとバウバウの間にギャーギャーという声がする。
声の主を目で探した。猿が、やや逃げ腰でしゃがんでいる。
バウバウ。ギャーギャー。バウバウ。
うるさい。うるさい。馬鹿が二匹。
構わず通り過ぎた。
そのとき、あいつと目が合ったか、一瞬だろうが。
あいつというのは、猿のこと。
で、用を済ませた帰りに咬まれた。
あいつは、自分が逃げ腰だったのを私に見られて、恥じていたのだろう。
私が戻るのを待っていたのかもしれない。
そういう話を男たちにしたかったが、話してどうなる。止まらず、歩く。
彼らは猿の被害を矮小化したかったようだ。
被害を被害者のせいにしようとした。そうしないと、上の人に叱られる。
叱られないとしても、とにかく、自分たちの無能ぶりは誰かに笑われそうだ。
誰かって誰。天の神様?
自尊心の天使? 虚栄心の悪魔? 傷だらけの天使。ハイソの悪魔。
教訓。いずれにせよ、猿と人間に大差はないのである。
独りになると、咬まれる寸前の体の記憶が蘇った。
尻の両側の圧迫感。そして、ズンと衝撃。
人間の尻を両手で掴み、頭突きしてから大口を開けて咬みつく猿のイメージ。
剥き出しの汚い歯茎。汚い牙。
そんな話をしても、人間どもは聞く耳を持つまい。
ほらね。やっぱり変な奴だよ。聞かれてもいないことを、ペラペラ……
薄笑い。
うるさい。この類人猿め!
傷が治るのに三か月ほど掛かった。
咬まれたのは左で、座るとき、右に体重を掛け……
(終)