ヒルネボウ

笑ってもいいかなあ? 笑うしかないとも。
本ブログは、一部の人にとって、愉快な表現が含まれています。

漫画の思い出  花輪和一(31)『赤ヒ夜』(青林堂)

2025-02-15 23:47:29 | 評論

   漫画の思い出

   花輪和一(31)

   『赤ヒ夜』(青林堂)

『「因業地獄女「倉」」

よくできている。

「因業」とは「頑固で無情なこと」(『広辞苑』)だが、本来は仏教用語で「原因と、間接的原因である行為(業)とをいう」(『ブリタニカ』)とか。

作者は、ヒロインの「倉」を悪い女として描いている。しかし、彼女が悪いことをしでかすのには、それなりに理由がある。周囲の人々が悪いのだ。

作者は、本心では、彼女を庇っているのではないか。そうだとすると、おめでたい。二重の意味で、おめでたい。作者は、悪い女を庇う余裕ができたから、おめでたい。だが、その余裕は嘘っぽいから、おめでたい。

彼女は嫁に行って「オス」を生むように強制されるが、「メス」を生んでしまう。花輪は、〈僕を産んでくれなくて、ありがとう〉と思っているのかもしれない。彼女は「オス」を生むという悪行だけはやらなかった。「オス」を生まない「因業地獄女」が、「オス」である花輪の理想の母親なのかもしれない。皮肉でも理想の母親を描けたことが、おめでたい。

最期の駒で登場する「愛情不足が原因」で死んだ女子は、「愛情不足」でも生きている男子の裏の存在だ。

これはすべてフィクションでした。作者のおばあさんとは全く 関係ありません。ここに使用した写真も 昔、雨の降った日に道端でひろったもので、ブツダンの ひきだしでみつけたものではありません。だいいち、こんな業の深い おばあさんのシソンなんて はずかしくってとっくに死んでる。体中の血を全部体外に 出してね。こわいもの、こんな 業の深い血をいかしといたら。

(『「因業地獄女「倉」」』

このあとがきも「フィクション」かな。

 (31終)


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(報告) 〈『夏目漱石を読むという虚栄』要点〉をHPミットソンに掲載しました。

2025-02-11 00:08:07 | 評論

(報告)

〈『夏目漱石を読むという虚栄』要点〉をHPミットソンに掲載しました。Microsoft Word - 00(0ßÃȽó( (002).docxブログに未発表の文章も含まれています。

なぜ、今、こんなものを出すのかと言うと、先日、苛々することがあって、その苛々を少しだけでもいいから解消したくなったからです。

気障なだけの意味不明の悪文を深遠な思想か何かの表現のように見せかける風潮が、今、広がっています。そんな風潮は古代からあったのでしょうが、それを近代において強化したのが夏目漱石です。その後、彼のやり口を真似た連中の作文が大量生産され、出版社によって拡散され、学校で名文として教え込まれてきました。

その種の気障な物書きたちを、私は〈ウレテラ・セブン〉(〔1440 忖度ごっこ〕参照夏目漱石を読むという虚栄 1440 - ヒルネボウ)と呼んで警戒しています。

彼らのせいで日本人は頭が悪くなったのです。本当は、知能が低いのではないのでしょう。でも、頭が悪いみたいな言語活動を、賢くても日本人はやってしまうのです。そして、悦に入るのです。

苛々したくなければ、虚栄の排泄物のような悪文を読まないことです。

私は、〈気障な悪文は読まなくていいんだ〉ということを確信するために『夏目漱石を読むという虚栄』を書いています。

(終)


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書評 『江戸の戯作絵本(一)』(社会思想社)  編者 小池正胤・宇田敏彦・中山右尚・柳橋正博

2025-02-09 23:39:52 | 評論

   書評

  『江戸の戯作絵本(一)』(社会思想社)

   編者 小池正胤・宇田敏彦・中山右尚・柳橋正博

これで『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』が読めるよ。

あんまり面白くないけど。

(終)

 


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『冬のソナタ』を読む 「別れの練習」(下p25~49)

2025-02-03 23:33:48 | 評論

   『冬のソナタ』を読む

    「別れの練習」(下p25~49)

1 プチトマト

ユジンはチュンサンを思い出す。思い出すことを自分に許す。

ジュンサンを思い出したユジンの眼がおぼろげになった。

ユジンが、ジュンサンの名前を出さずにこの北極星(ポラリス)の話をすると、悲しい眼で見つめていたミニョンが訊ねた。

「ユジンさん、道に迷ったような気がしてるんですか?」

ミニョンがユジンの顔を振りむかせた。ユジンはなんとか笑みを浮かべて見せながら、平然を装った。自分が背負った傷より、大切な人たちに自分が与えた傷の方がもっと痛いに違いないと思った。その上、二度と彼らに許されないと思うと、堪えきれなかった。

ミニョンは苦しい涙をこぼしたユジンの顔を両手で覆った。

「ほかの星は場所を変えても、北極星(ポラリス)はいつもその場所にいるって言いましたよね? もし、ほかの人たちがユジンさんを許さなくても……わかってくれなくて去って行っても……僕がいつもその場所にいてあげたら……道に迷わない自信ありますか?」

ユジンを見つめるミニョンの眼にもいつの間にか涙が浮んでいた。

「……僕のこと、信じてくれますか?」

ユジンはゆっくり頷(うなず)いた。

(p30~31)

一夜が明ける。

朝、ユジンが目覚めると、一階で寝ていたはずのミニョンはいなかった。リビングに出たユジンがカーテンを開けた。明るい冬の陽射しが射(さ)しこみ、ユジンの心まで明るくした。

(p31)

さあ、これから二人はどうなる? ユジンとチュンサン、じゃなくて、ミニョン。

ソファに腰掛けようとしたユジンの顔が、もっと明るくなった。食卓の上に置いてあるみずみずしい果物が陽射しに照らされていたのだ。ユジンは、その中からプチトマトをひとつ口に入れた。

(p31~32)

「果物」はミニョンが置いていった。ユジンは彼を待たず、一人で「ひとつ」食べる。幼子のようだ。「プチトマト」は、彼女の自立とそれに反する幼さの象徴。

(終)


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『七つの子』を読む

2025-02-02 23:35:04 | 評論

       『七つの子』を読む

〈詩を理解する必要はない〉と主張する人がいる。さらには、〈理解は鑑賞の妨げになる〉とまで嘯く人がいる。とんでもない。詩は、理解力が足りない人のための逃げ場ではないよ。

   七つの子

       野口雨情

烏(からす) なせ啼(な)くの

烏は山に

可愛(かわい)七つの

子があるからよ

「七つ」を〈七羽〉と誤解する人がいる。正しくは〈七歳〉だ。勿論、七歳の雛なんて、おかしい。

「可愛」は烏の鳴き声から。カアカア。

この詩は問答になっている。

  (夕暮れ。何事かを訴えるような烏の鳴き声がする)

子 (不安げに)烏、なぜ啼くの?

母 烏は山に可愛い七つの子があるからよ。

子 ? 

母 「可愛い、可愛い」と烏は啼くの。

(そう言いながら、母は子を抱き寄せる)

子 (擽ったそうに笑う)

母 山の古巣にいって見て御覧。(母が子の目を覗き込む)丸い目をしたいい子だよ。

七歳の子は甘やかされたくない。でも、甘えたい。この葛藤を母が作り話で和らがせる。「古巣」とは、母子分離以前の幼児期の記憶の代りだ。

こうした情景を想像できない人は、詩とは縁がない。

志村けんが歌っていた。

「烏、なぜ泣くの。烏の勝手でしょ」

七歳を過ぎた子が泣いていると、親がうるさがって「なぜ泣くの?」と詰問する。子は「勝手でしょ」と不機嫌そうに答える。

子供たちが狂ったように唱和していた。これは自立のための闘いの歌だったのだ。もう「古巣」には戻れない。いや、戻るものか。

ところが、エゴイズムの歌と勘違いした未熟な大人が、これを歌うのを禁じた。昭和は嫌な時代だった。

(終)

 

 

 


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