ヒルネボウ

笑ってもいいかなあ? 笑うしかないとも。
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(書評)『モーラとわたし』 著者 おーなり由子

2025-01-22 00:39:23 | 評論

   (書評)

   『モーラとわたし』

   著者 おーなり由子

私にも「モーラ」のような何かが見えていた時期がある。

モーラは

おとうさんと

おかあさんには

みえない

 

だから ごはんのとき

モーラが

となりに すわっても

きがつかないの

(『モーラとわたし』)

私に見えていたのは変な物体だった。それに名前はない。それは縛られているのか、手足がないみたいで、ある部屋の天井から50センチほど下、一本の縄か何かで吊るされていた。人間のようだが、よくわからない。よく見ないからだ。見たくなかった。それが生きているのかどうかも、わからない。

それは、私がある部屋に独りでいる時、必ず現われるのだった。独りでいる時にしか現れなかった。私は、本当は、それがいないということを、ちゃんと知っていた。しかし、怯えた。

色は黄色だった。

GOTO ミットソン『いろはきいろ』『いろはきいろ』トップページ

(終)

 

 


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(書評) 岸本裕史『ドラえもんの学習シリーズ ドラえもんの算数おもしろ攻略 改訂版 算数まるわかり辞典 4~6年生』(小学館) (30) 度数分布表(p248~249)

2025-01-19 23:20:44 | 評論

   (書評)

   岸本裕史『ドラえもんの学習シリーズ ドラえもんの算数おもしろ攻略 改訂版 算数まるわかり辞典 4~6年生』(小学館)

(30) 度数分布表(p248~249)

小学生で統計を学ぶ必要があるかな。

データをいくつかの階級に分けて、その階級ごとにあてはまる度数を示した表を、度数分布表というんだ。

(p249)

はあ、そうですか。

 

(31) 柱状グラフ(ヒストグラム)(p250~251)

「ヒスト」って何? 「グラム」は「グラフ」のこと? 

調べたグループ全体のデータの特ちょうや、分布の様子を見たいときは、柱状グラフが便利だよ。

(p251)

えっ、何だって? ……分らん。

でも、もう、いいや。

おしまい! 

お疲れ様。

(『算数まるわかり辞典』読了)


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書評     岸本裕史『ドラえもんの学習シリーズ ドラえもんの算数おもしろ攻略 改訂版 算数まるわかり辞典 4~6年生』(小学館)(29) ドットプロットと代表値(p246~247)

2025-01-18 23:18:31 | 評論

   書評

    岸本裕史『ドラえもんの学習シリーズ ドラえもんの算数おもしろ攻略 改訂版 算数まるわかり辞典 4~6年生』(小学館)

   (29) ドットプロットと代表値(p246~247)

「ドットプロット」は知らない。辞書にもない。「ドットブロット」というのはあるが、関係なさそう。

* 

「上の表は、15人が1か月に何冊の本を読んだかを調べたデータよ」

「このデータを数直線上に表したドットプロットを作って、データの特ちょうを調べてみよう」

「できた! 6冊読んだ人がいちばん多いね」

「それを最頻値というんだ」

(p246)

小学生から統計を学ぶのか。大変だ。

「最頻値」の他にも、似た言葉が出てくる。

「平均値」は、知ってる。

中央値=5冊

下の図のように、データを順に並べたとき、真ん中にくる値。メジアンともいう。

(p247)

「真ん中」は怪しい。

n個の量を大きさの順に並べたとき、中央に位置する値。nが奇数ならば(n+1)/2番目の値、根が偶数ならばn/2番目とn/2+1番目の値の平均値をいう。

(『広辞苑』「中央値」)

これらを纏める。

最頻値、平均値、中央値など、データの特ちょうを表す値を代表値というよ。

(p247)

偏差値は知らなくてもいいのかな。

(29終)

 

 


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『冬のソナタ』を読む 「道に迷う小鳥」(下p5~23) 4 別荘の前

2025-01-16 23:51:11 | 評論

   『冬のソナタ』を読む

   「道に迷う小鳥」(下p5~23)

   4 別荘の前

サンヒョクの嫉妬が、ユジンの気持ちを決めた。

ユジンの名を呼ぶサンヒョクの声に、深い絶望がにじんでいた。

 

スキー場を出た車が止まったのは、ミニョンの別荘の前だった。車を降りたミニョンはユジンの手を携えて別荘に入ろうとした。ミニョンが玄関のドアを開けようとすると、先に中から誰かがドアを開けた。

ミニョンは驚いて一歩後ずさりをした。

「ミニョン!」

喜びの笑みを浮かべてミニョンを抱きしめたのは、ほかでもなく母親のカン・ミヒだった。

(下p23)

ミニョンとチュンサンは双生児? 

まさか記憶喪失じゃないよね。

(終)

 

 


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漫画の思い出 はるき悦巳『じゃりン子チエ』

2025-01-15 23:09:41 | 評論

   漫画の思い出

   はるき悦巳『じゃりン子チエ』

読みだすと、止まらない。続きを買うために、一日に二度、同じ本屋に行った。本屋の店員も、もっともだというようなことを言った。

ところが、やがて飽きた。チエが何度目かの五年生をやっていることに、自分でも気づいた、そのしばらく後だろう。

小学校五年生の教室には、異様な気怠さが漂っている。テツが更生しないのは、大人になってもそうした気怠さから抜けられないからかもしれない。

出来過ぎた妻、そして、出来過ぎた母。一方、不出来な父、ご近所の不出来な人々、そして、人間どもの写しのような猫ども。こうした生物が、チエの周囲を温かく包むとき、気怠さの牢獄が出来上る。

最初の構想では、〈チエの母は悪人ではない〉ということが明らかになった時点で終わりになるはずだったろう。そこで終わらないのなら、別の展開が必要になる。しかし、アイデアが出ない。作者の力量不足ではない。愛読者が新たな展開を望まないからだ。

連載漫画の愛読者は、登場人物や設定の変化を望まない。今日は昨日と同じ。今年も、そして、来年も、去年と同じ。そうでなければ、安心できない。ちょうど、猫の世界で起きることと人間の世界で起きることが、微妙に関連しているように、作者の皮肉と読者の保身が、やはり微妙につながることを、読者は望む。

その望みが叶えられて、読者もまた気怠さに囚われるとしても、それでいいのだ。それがいいのだ。

「のびのび」を強制されて苦しむマモルのように、作者も、読者も、退屈を楽しむ。

作品そのものがノスタルジックなので、現在、私の感じている思い出の、あれとこれとが区別できない

(終)

 


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