夏目漱石を読むという虚栄
6000 『それから』から『道草』まで
6500 近道の『道草』
6510 毒親
6511 「何だかちっとも分りゃしないわね」
『道草』は『こころ』への近道だ。
S夫妻が「幸福な一対」になり切れない理由は隠蔽されている。一方、『道草』の夫婦の不和は養父との確執が原因であるように誤読できる。しかし、養父の出現によって不和が生じたわけではない。養父は夫婦喧嘩の種の一つではあっても、その全部ではない。健三は少年期に養母から精神的虐待を受け、女性不信になり、妻に対しても猜疑心を抱いていたのだろう。ただし、そのような文芸的表現になっているのではない。複数の物語が複雑に絡み合い、解決の糸口さえ見出せないまま、『道草』は終わる。健三が家庭人として非力だからではない。作者がなすべき仕事を放棄しているからだ。
妻のお住が「御父(おとう)さまの仰(おっしゃ)る事は何だかちっとも分りゃしないわね」(『道草』百二)と「赤ん坊」に話しかけ、愛撫して、『道草』は終わる。読者にとっても、作者の書くことは「何だかちっとも分りゃしない」のだ。〈お住はわがままだ〉といった解釈をしてわかったつもりになることはできない。彼女の気持ちを明瞭に想像することはできないからだ。
<索漠とした健三、お住夫婦の生活を中心にその一家の間で起こる心理的トラブル、複雑な家庭生活の事情を反映した苦悩を描く。
(『日本国語大事典』「道草」)>
「索漠」は〈混迷〉などが適当。『道草』は、夫婦の物語と親子の物語に分裂している。両者を繋いでいるのは、ママゴンによって生じた健三の混乱だ。「一家の間」は意味不明。「家庭生活」に「反映した」のは健三の育ちの悪さだが、お住も育ちが悪そうで、ややこしいことになっている。「事情を反映した苦悩」は意味不明。
Sは、静が〈男を愛する女〉であることを願った。その女は〈「慈母」(『彼岸過迄』「須永の話」四)のような少女〉だ。その代り、Sは静の母に〈毒親〉の性格を与えた。
<「毒になる親」に育てられた子供は、大人になってからどのような問題を抱えることになるのだろうか? 子供の時に体罰を加えられていたにせよ、いつも気持ちを踏みにじられ、干渉され、コントロールされてばかりいたにせよ、粗末に扱われていつもひとりぼっちにされていたにせよ、性的な行為をされていたにせよ、残酷な言葉で傷つけられていたにせよ、過保護にされていたにせよ、後ろめたい気持ちにさせられてばかりいたにせよ、いずれもほとんどの場合、その子供は成長してから驚くほど似たような症状を示す。どういう症状かといえば、「一人の人間として存在していることへの自信が傷つけられており、自己破壊的な傾向を示す」ということである。そして、彼らはほとんど全員といっていいくらい、いずれも自分に価値を見いだすことが困難で、人から本当に愛される自信がなく、そして何をしても自分は不十分であるように感じているのである。
(スーザン・フォワード『毒になる親―一生苦しむ子供』「はじめに」)>
〈静の母は娘を売って稼ぐ〉という物語は消滅する。その理由は、平明ではない。
6000 『それから』から『道草』まで
6500 近道の『道草』
6510 毒親
6512 「鷹揚」と「寛大」
Nの小説に登場する「母」のほとんどが正体不明だ。「母」が正体不明だから、女たちも正体不明なのだ。逆ではない。
<宅(うち)には相当の財産があったので、寧ろ鷹揚(おうよう)に育てられました。私は自分の過去を顧みて、あの時両親が死なずにいてくれたなら、少なくとも父か母か何方(どっち)か、片方で好(い)いから生きていてくれたなら、私はあの鷹揚な気分を今まで持ち続ける事が出来たろうにと思います。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」三)>
「財産」と「鷹揚(おうよう)」の関係は不明。「鷹揚(おうよう)」の真意は〈過保護〉だろう。〈育児放棄〉の可能性もある。
<然し健三に対する夫婦は金の点に掛けて寧(むし)ろ不思議な位寛大であった。
(夏目漱石『道草』四十)>
「寛大」と「鷹揚(おうよう)」は類語だろう。ただし、語り手Sにそうした意図があるわけではない。作者の混乱の露呈だろう。
<夫婦は健三を可愛(かわい)がっていた。けれどもその愛情のうちには変な報酬が予期されていた。金の力で美く(ママ)しい女を囲っている人が、その女の好きなものを、云うがままに買ってくれるのと同じ様に、彼等は自分達の愛情そのものの発現を目的として行動する事が出来ずに、ただ健三の歓心を得(う)るために親切を見せなければならなかった。
(夏目漱石『道草』四十一)>
少年Sは、少年健三のような「小暴君」(『道草』四十)だったのだろう。だから、叔父一家だけでなく、親族一同に嫌われたようだ。ところが、作者は、そうした常識的な解釈の可能性を考慮していない。『こころ』の作者は、罪悪感を抱くことのできるSを美化している。だから、読者もSを贔屓しないと読みづらい。
静の母はSを「鷹揚だと云って褒める」(下十二)が、語り手Sは「私は金銭にかけて、鷹揚だったかも知(ママ)れません」(下十二)と補足している。ただし、青年Sが静の母に対してそのことを述べた様子はない。述べなかったとしたら、その理由は不明。青年Sは、この時点では、いい気になっていたのだろう。この被愛感情が被害妄想的気分に変る。その変化の原因などについて、語り手Sは何も語らない。作者の意図は不明。作者に明確な意図はないようだ。「歓心」は「得る」でなく、〈買う〉だろう。〈媚を売る〉とごっちゃになったか。
「あの時」が駄目なら、いつならよかったのか。「何方(どっち)か、片方」は死んでくれていいのか。「あの鷹揚な気分」は、叔父一家のせいで「持ち続ける事」ができなかったらしい。だが、本当だろうか。「気分」が「気性」(下十二)でないことに注意。
6000 『それから』から『道草』まで
6500 近道の『道草』
6510 毒親
6513 「心得のある人」
静の母は「鷹揚」という言葉を使ってSを褒めた。
それのみならず、ある場合に私を鷹揚(おうよう)な方(かた)だと云って、さも尊敬したらしい口の利(き)き方をした事があります。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」十二)
「さも尊敬したらしい口の利(き)き方」には〈本心は違う〉という含意がある。「らしい」のせいだ。変な褒められ方をしたから青年Sは彼女を警戒し始めたのだろう。だが、そういう話にはならない。静の母に対するSの不信感の発生源は、明らかではない。
Ⅰ 静の母は、Sの自覚していない美質を察知した。
Ⅱ 静の母は、お世辞でSを励まそうととした。
Ⅲ 静の母は、お世辞でSを操ろうとした。
Ⅳ 静の母は「露悪家」であり、「鷹揚(おうよう)な方(かた)」は嫌味だ。
Ⅴ 静の母に他意はなく、ⅠからⅢの可能性はSの妄想だ。
Ⅵ その他。
これらのどれが真相なのか、私には推定できない。勿論、どれか一つだけが真相とは限らない。複数の物語が同時に成り立つことはあろう。
奥さんは心得のある人でしたから、わざと私をそんな風に取り扱ってくれたものと思われますし、又自分で公言する如く、実際私を鷹揚だと観察していたのかも知(ママ)れません。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」十三)
「心得」は皮肉っぽい。「わざと」が困る。「そんな」は、「僻(ひが)んだ私の眼や疑い深い私の様子に、てんから取り合わなかった」(下十三)などを指す。「思われますし」の列挙の「し」が一つというのは変。〈「観察していたのかも知れません」し〉などと続けるべきだ。語り手Sは、静の母の本性に対する見解を示そうとしないばかりか、〈自分には見解を示せない〉といった事実を聞き手Pに対して隠蔽している。「又」の真意は、〈あるいは〉だろう。ただし、二者択一とは限るまい。「鷹揚」は怪しい。「観察していた」は〈「観察して」信じかけて「いた」〉などの不当な略だろう。
この文において、語り手Sは〈ⅡでなければⅠだろう〉という虚偽の暗示をしている。やがてⅢの可能性が浮び、青年Sは混乱する。選択肢が多いせいで混乱するのではない。Sが〈Ⅰに収束させたい〉と無理に願ったからだろう。ただし、真相は不明。本文が意味不明だからだ。本文が意味不明になってしまったのは、青年Sの静の母に対する被愛願望を語り手Sが始末できずにいて、しかも、そうした真相を自他に対して隠蔽しているせいだろう。実際に隠蔽しているのは作者だ。
(6510終)