夏目漱石を読むという虚栄
7000 「自由と独立と己れ」の交錯する「現代」
7100 北極あるいは肛門
7140 「教育勅語」
7141 「夫婦相和し」
「明治の精神」を〈明治天皇の精神〉と誤読する人がいる。〈明治天皇の精神〉をどうやって知り得よう。尊王のつもりなら、おこがましい。
〈明治天皇の精神〉と勘違いしそうなものは、明治二十三年発布の「教育ニ関スル勅語」略して「教育勅語」だろう。その作者は、明治天皇ではない。
政情不安を懸念する地方長官は徳育方針の確定と徹底を求めた。首相山形有朋(やまがたありとも)は法制局長官井上毅(こわし)に起草を依頼し、井上と枢密顧問官元田永孚(もとだながざね)によって草案を作成した。井上はとくに2つの点に留意した。第一は法形式上、君主は臣民の心の自由に干渉せずの建前から天皇の社会的著述としての体裁をとるため、大臣副署のない形式とする。ここに立憲下での天皇による特定価値強制の問題性が示される。しかし法的根拠をもたないがゆえに、法制を超える権威をもつことになる。次に哲学・宗教上の論議を超越するため「国体の精華(が)」という概念によって忠孝の必然性を証明する。
天皇の建国、天皇の徳治と臣民の忠節を「国体の精華」とする皇国史観を前提に、「日常道徳として孝、友、和、恭倹、博愛、義勇、奉公など15の徳目を列挙し、それらの徳目は天皇への忠に従属する構成としている。
(『日本歴史大辞典』「教育勅語」森川輝紀)
「教育勅語」の根源である「日常道徳」は、山形の出身地である長州のそれか。
教育勅語のことを批判すると、その主旨はいいという言い方がなされることがある。
それを稲田朋美なんかが言ってくる。
私はあれがものすごく腹が立つんだ。
「夫婦相和し(ママ)」とか、根本の倫理じゃないか、と。
しかし倫理というものは強制されて上から言われたくない。ましてや無倫理の極みである現政権に言われたくはないわけでしょう。
(望月衣塑子・佐高信『なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか』における佐高発言)
佐高は「その主旨はいい」と思うらしい。望月は訝しんだか、「教育勅語はその内容も、それが強制されていることも、批判しなければならないと」(同前)と受ける。変だ。
私には「内容」さえ批判できない。「夫婦相和し」は意味不明だからだ。
「夫婦」とは何か。「養老令は妻(さい)・妾(しょう)ともに夫の親属とし、夫からみて妻・妾はともに二等親(儀制令(ぎせいりょう)5等条)、夫は妻からも妾からも一等親と、妻と妾を同格に扱った」(『日本歴史大辞典』「妾」)という。これが「根本の倫理」ではないのか。〔2313 『みだれ髪』〕参照夏目漱石を読むという虚栄 2310 - ヒルネボウ (goo.ne.jp)。
「相和し」という行為あるいは状態は観察可能か。「相和し」ていない場合、どうなるのか。『道草』の夫婦のように、互いに互いを責め合うのか。
7000 「自由と独立と己れ」の交錯する「現代」
7100 北極あるいは肛門
7140 「教育勅語」
7142 「旧道徳」
Sの「倫理上の考」(下二)と、Sの想定する〈Pの「倫理上の考」〉は異質らしい。
お町はいうまでもなく、お近でも兼公でも、未(いま)だにおれを大騒ぎしてくれる。人間は何でも意気でもって思合った交りをする位楽しみなことはない、そういうとお前達は直ぐとやれ旧道徳だの現代的でないのというが、今の世にえらいといわれてる人達には、意気で人と交わるというような事はないようだね、身勝手な了簡(りょうけん)より外(ほか)ない奴は大き面をしていても、真に自分を慕って敬してくれる人を持てるものは恐らく少なかろう、自分の都合計り考えてる人間は、学問があっても才智があっても財産があっても、あんまり尊いものではない。
(伊藤左千夫『姪子』)
『姪子』は明治42年発表。「お前達」はPと同世代だろう。
「旧道徳」の内容は不明。これは「教育勅語」に類するものだろうか。「現代的」な「道徳」は「自由と独立と己れ」云々と関係がありそうだ。
『姪子』の語り手は「意気」が合う「楽しみ」を得たときの体験を語っている。一方、Sはこうした「楽しみ」の体験について語らない。体験の有無についてさえ語らない。暗示すらしない。だから、「楽しみ」の不足としての「淋しみ」(上十四)も言葉だけのものだ。いや、「淋しみ」」が「楽しみ」の不足なのかどうかさえ、はっきりしない。さらには、PがSにとって「真に自分を慕って敬してくれる人」なのかどうかも、はっきりしない。Sの考えでは、自分を含めた現代人の誰もが「身勝手な了簡(りょうけん)より外(ほか)ない奴」なのだろう。だから、静もPもその一員なのかもしれない。
Sの「倫理上の考」は不可解だが、「教育勅語」も不可解だ。両者の原典や何かが同じなのがどうか、私にはわからない。儒教的だが、儒教とは違うようだ。
本文は315字、内容的に3つの部分から成っている。前段では、肇国以来歴代天皇が道徳の形成に努め、国民が忠義、孝行の道において一致してきたことを「国体ノ精華」となし、教育の根源をこの点においている。次いで「父母ニ孝」「兄弟ニ友」「夫婦相合」……「学ヲ修メ業ヲ習ヒ」など「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼」すべき日本臣民の体得すべき徳目を列挙し、最後にこのような国体観、臣民観が時間と空間をこえて妥当する絶対の真理であると宣言し、天皇と臣民が一体となってその実現に邁進すべきことを求めている。
(『ブリタニカ国際大百科事典』「教育勅語」)
「肇国」は神話。だが、この点は問題にしない。「忠義、孝行の道において一致してきたこと」も伝説の一種だが、この点も問題にしない。「国体ノ精華」は問題になる。「国体」も「精華」も意味不明だからだ。ただし、ここでは問題にしない。「教育の根源」は無視。
「徳目を列挙し」という総括は間違いだろう。井上らは、複数の「徳目」に筋を通しているつもりだろうからだ。
7000 「自由と独立と己れ」の交錯する「現代」
7100 北極あるいは肛門
7140 「教育勅語」
7143 欧化主義
「明治の精神」と「教育勅語」に直接の関連があるとは考えられない。つまり、Sが「教育勅語」を念頭において「明治の精神」という言葉を用いたとは考えられない。「教育勅語」は明治中期に発布されたからだ。ただし、「明治天皇に始まって」という言葉が意味不明だから、断定はできない。また、「教育勅語」が失効するのは昭和だから、「天皇に終ったような気」は、文字通り、「気」でしかなかったことになる。この場合、Sの「気」は、作品の外部から評価するなら、まったくの的外れだったことになる。
戦後政治改革により1946年(昭和21)10月、奉読と神格的取扱いが禁止され、1948年6月19日には衆参両院で、憲法、教育基本法などの法の精神にもとるとして、それぞれ排除、失効確認決議。謄本は回収、処分された。しかしその後も、当時の文部大臣天野貞祐(ていゆう)の教育勅語擁護発言(1950)、首相田中角栄の勅語徳目の普遍性発言(1974)など、教育勅語を擁護する声は根強く、憲法改正を含む戦後天皇制再検討の動きとの関連で、一部政・財界人、学者・文化人、神社関係者などの間では教育勅語を再評価する動きが続いている。
(『日本大百科全書(ニッポニカ)』「教育勅語」尾崎ムゲン)
なぜ、「教育勅語を再評価する動きが続いてる」のだろう。「明治の精神」が令和も継続中だからだ。
1891年(明治24)1月9日、旧制第1高等中学校(東京英語学校の後身)では前年受理した教育勅語の奉読式が行われた。内村は、勅語に記された天皇の署名に対し「礼拝」と見られる行為を拒絶、これが「不敬」とされ同校教員の職を失った。その後、井上哲次郎が『教育ト宗教ノ衝突』を著し、国家教育とキリスト教との衝突問題に発展した。内村個人には国家観をはじめ思想的飛躍の契機を与え、日本の欧化主義から国家主義への転回点を示す象徴的な事件となった。
(『日本歴史大辞典』「内村鑑三不敬事件」鈴木範久)
明治の前期の風潮などは欧化主義だった。
最初は廃藩置県以降の明治政府による文明開化政策として現れ、また福澤諭吉や森有礼らの明六社の同人たちによって唱道された。鹿鳴館時代と呼ばれた明治10年代後半(1882~87)期には条約改正を目的とした西洋模倣政策が遂行された。明治政府の欧化主義は富国強兵や殖産興業の推進力となったが、他面伝統的社会秩序を動揺させ、大きな社会不安をもたらした。
(『ブリタニカ国際大百科事典』「欧化主義」)
「明治の精神」は「社会不安」だろう。「神経衰弱」(下二十二)はその反映だろう。
(7140終)