『信じるとは、ありのままを受け止められる
揺るがない自分がいること』
★芦田愛菜
女優の芦田愛菜が以前テレビの番組での出られた
時の言葉です。
『信じる』について、何か答えが見つかりましたか?
との質問に対してのコメントです。
『その人の事を信じようと思います』っていう言葉
よく使う思うんですけど、『それってどういう意味
なんだろう』と考えた時に、なんかこう その人自身
を信じているのではなくて、『自分が理想とする、
その人の人物像みたいなものに期待してしまっている
ことなのかなぁ』と感じて。
だからこそ人は、「裏切られた」とか「期待していたのに」
と言うけれど、別にそれは、「その人が裏切った」とかいう
わけでもなくて、「その人の見えなかった部分が見えただけで」
あって、その側面が見えた時に「あっ、それもその人なんだ」と
受け入れられるというか、受け止められる「揺るがない自分が
いる」と言うことが「信じる」ということなのかなと思った。
すばらしい洞察力です。
確かに私たちは、たいて他人の見たいところだけ見て
その部分に期待をかけることを『信じる』と叫んでいます。
『仏様は、神様を信じる』という言葉も自分にとって
都合の良い期待『欲望』を託す時に用いていませんか。
私たちの『信じる』とはどこまでも自己中心的な部分
から離れられないものです。
『信じる』とは、どういうことか?
改めて考えるご縁にしていただけたら・・・
南無阿弥陀仏
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