岩井ジョンの旅行記

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悲しみ

2024年08月05日 09時18分47秒 | 悲しみ
   従兄
弟がなくなりました。
 令和6年7月28日(日)の明け方施設にて亡くなった。
  彼は、令和5年7月に体の異常に気付き、松原市内の病院へ受診
 大阪国立病院へ白山病院へ施設へとこの1年間くりかえしていた。 
 最後は、施設で、食事ができなくて、点滴のみでした。
 でも、意識がはっきりしていて大丈夫とおもっていました。
  ところが、令和6年7月28日(土)の明け方急変して
 なくなった、
    これからと言うのに、悔しくて、残念!!!



緩和ケアに

2024年08月05日 07時40分49秒 | 悲しみ
 従弟は緩和ケアになった。
  従弟の妹から、今回の治療が最後なると、
 聞いていたので少し心配でした。(しばらくして)
 連絡があり病院から施設に!!!
     1人での生活が困難なので、施設に入れたと
  私は、なぜなぜどうして!!!
    【病院の緩和病棟では】
  私はますます、彼の家族に怒りを覚えた。

  以前、彼は、自宅を新築して、自分の部屋が
  あって、家族と一緒に生活できると喜んで
  いて、完成し、しばらくして、家族と生活してたが
  松原に戻ってきた。

  そして治療のため病院へ、病院での最終治療が
  終わり、以前入居していた、施設に。
  誰も彼の世話を見ることができないので、
  入居した。
  面会に数回行き、以前より、よくなっていてので
  安心したが、食事は出来なくて毎日点滴の生活でした。   
   
  

別れ

2024年08月05日 07時29分32秒 | 悲しみ
   悲しい事が現実におこりました。
   令和6年7月28日(土)明け方、従弟が
 なくなりのした。今日(令和5年)の7月前立受けて腺癌の検査を
 うけました、【症状があり】明治橋病院にそして、大阪公立病院
 で検査と治療をうけ、城山病院へ、施設へ、約1年間 病院と
 施設への入居の繰り返しで、食事会も去年から1回もできず、
 旅だちました。