「往生は一定」・・・おうじょうはいちじょう
「歎異抄」より お釈迦様がブツダガヤで菩提樹のもとで禅定(深い瞑想)に入られた
時、さまざまな悪魔がやってきて、お覚(さと)りを開くのを妨害
しようとした。怖い巨人の姿で脅したり、妖艶な美女となって
もっと楽な道があると誘惑したり。
お釈迦様は、それを退けられて、正覚を得たという。
又、有名な「二河白道の譬喩・・にがびゅくどうのひゆ」にも
同様なことが書いてある。
阿弥陀如来の呼ぶに従って、彼岸へと延びる白い道を渡って
行こうとする人に、悪人や猛獣たちが、
「そんな怖い道を渡ったら死んでしまうからやめとけ」
と誘惑する。
考えてみれば誰名も悪魔がいる。よく勉強会や会議などに出ることが
多いが、私は終わったらまっすぐに家に帰りたいが、仲間が寄ってきて
言うのだ「ちょつと飲みにいこうや。」
私はお釈迦様と違って気が弱いので、ほいほいとついて行ってしまう。
こいつらいなければ、私はもっと真面目になれるのに・・・・
と思うのだが、さて、どうだろう。どこに悪魔がいるのだろうと?
考えるまでもない。私の胸の中にこそ。悪魔がいるのだ。
私こそが、悪魔なのだ。
「 「歎異抄」より・作成しました。」