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2015-03-01 13:54:33 | 法話
「春」
 師走は雪が多く、厳しい冬が予想されたが、平成27年乙未(きのとひつじ)に年が改まると暖かい日が続き、雪も少ない。
前回の法話でも述べたが、今年は春の訪れが早いのである。立春と共に、春が来た。一月(ひとつき)近く、早いのではないか。
 じつは春が早(はや)過ぎると、困ることもあるのである。毎年のことだが、枝垂桜(しだれざくら)を筆頭(ひっとう)に境内の
老木(ろうぼく)に巣食(すく)う苔(こけ)を駆除するために、寒さの厳しい2月末のこの時期に、硫黄合剤(いおうごうざい)を
散布(さんぷ)するのである。いつもならば雪がたくさん残っている筈(はず)なのに、瞬(またた)く間に春めいてきたから、
慌(あわ)てて金成緑化に電話したら、まだ大丈夫です、と言われたのである。とまれ、25日には散布(さんぷ)を終え、まず
は一安心である。ね
 世は当(まさ)に、春である。雪のない道路を平泉に向かい、髢(かつら)石(いし)を過ぎると視界が開け、束(たば)稲山(しねやま)に、
春(はる)霞(がすみ)が立つのが見える。日当たりのいい南の土手だけではなく、至(いた)る処(ところ)でフクジュソウが咲いている。
ネコヤナギが芽吹(めぶ)き、梅の蕾(つぼみ)も大きく膨(ふく)らんでいるのである。
スイセンの芽(め)が角(つの)ぐみ、蕗(ふき)の薹(とう)ことバッケが出ているが、散布した硫黄合剤には毒性があるから、
食用に適(てき)さなくなってしまった。こんなことなら、先に摘(つ)んでおけばよかったのにと後悔(こうかい)するが、バッケを
見つけたのが月末の28日だから、笑うしかないではないか。
 春が早すぎる所為(せい)か、ちぐはぐなことも多いが、地表の温度が上がると、雪が降っても上から下から溶けてしまうのである。
 斯(か)くして、春は忽(たちま)ち来るだろう。
こんな年があってもいいと、28日に弟子と毘沙門堂での御勤(おつと)めを終えて、柔(やわ)らかな日差しを浴びて、階(きざはし)を
降(お)りながら思ったのである。明日(あす)から、春(はる)三月(さんげつ)である。

達谷窟毘沙門堂/達谷西光寺 四季の写真をお届けいたします

2014-12-25 00:09:29 | 四季の写真館
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12月のテレホン法話(12/16~/31) 「糧飯(かてめし)」

2014-12-16 09:23:28 | 法話
「糧飯」
 糧(かて)飯(めし)、糧(かて)御飯(ごはん)とは、菜っ葉や大根や芋や豆などの雑穀を、少ない米の中に混ぜて炊(た)いたものをいう。テレビドラマでおしんが食(く)っていた大根(だいこん)飯(めし)も、この類(たぐい)であろう。
この糧(かて)飯(めし)こそが、師走十七日の観音様の御年越(おとしこし)祭(さい)の御神饌(ごしんせん)となる。その故は、粗末な飯でも食えますように、飢渇(けかつ)することがありませんようにと、観音様に切なる願(ねがい)を掛けて供えられたからである。さぞかし昔は、不味(まず)い飯だったのであろう。 

 さて、我(わが)達谷西光寺では、麦(むぎ)などの雑穀、豆、芋、銀杏、クリ、零余子(むかご)、大根の葉、胡麻類の他(ほか)、有体(ありてい)に言えば、あるものを沢山(たくさん)加え、醤油と塩を入れて炊き上げる。これがじつに旨(うま)い、とある集まりで話したところ、是非味わってみたいということになり、忽(たちま)ち数人の信者が十七日の直會(なおらい)に参集(さんじゅう)することとなったのである。
 
 毎月、十八日は観音様の御縁日(ごえんにち)である。来(きた)る師走(しわす)十七日は大晦日(おおみそか)で宵宮(よいみや)に当たるから、日が暮れて御神域に夜の帳(とばり)が下(お)りると、御歳(おとし)神様(かみさま)が注連縄(しめなわ)の改(あらた)められた三つの鳥居を潜(もぐ)り、燈篭(とうろう)に誘(いざな)われ御堂(おどう)に上(のぼ)られるのである。神様を御迎えしたのち、四箇法要が執り行われるが、神事であるから非公開である。そのあと御供所で直會(なおらい)、すなわち御神酒(おみき)と糧(かて)飯(めし)いただくことに決めたのである。
 
 師走(しわす)の御年越(おとしこし)祭(さい)は、二日の毘沙門様に始まる。毘沙門様には二つの鏡餅(かがみもち)を横に並べて、御供物とする。二十日の辯天様には、御強(おこわ)を卵型に握って御供(おそなえ)とし、二十八日の御不動様には茹でた小豆の上に鏡餅を三個三角に並べて御供(おそなえ)とする。つまり、佛様のためだけに作られる特別の御供物なので、我々が御相伴(おしょうばん)に預かるは難しい。

 斯(か)くして、糧(かて)飯(めし)を奉奠(ほうてん)する観音様の御年越(おとしこし)祭(さい)だけ、御供物(おくもつ)をいただくことが叶(かな)うわけだが、その由来(ゆらい)を改めて紹介したいと思う。我々は、飢えを忘れてはいないか。貧乏人は麦を食え、といった総理大臣がいたそうだが、有史以来我日本(にっほん)では、常に米が不足していたのだ。米余りの現在では想像し難いが、国内で完全自給できるようになるのは、戦後の昭和53年。ついこの前なのである。
 

京の都まで、ちょっと行ってきましたが・・・・。

2014-12-08 11:11:12 | 季節のお知らせ
今年9月に落慶法要が行われた蝦蟆ヶ池辯天堂ですが、、、
御堂とともに辯天様にお仕えする十五童子を修復復元したのは周知のお話

しかし、実は童子の持物が一部足りなかった・・・。

衣裳童子(いしょうどうじ 徐咽童子)の衣裳
船車童子(せんしゃどうじ 光明童子)の川船の綱
牛馬童子(ぎゅうばどうじ 随令童子)の牽いる「牛と馬」の手綱(たづな)と轡(くつわ)

京都にある安藤法衣店に依頼して、これらの持物を製作していた。
手綱はともかく、轡は結えないので、「牛と馬」には京の都にで出向いてもらうことにしたのだ。

急に冷え込み、初積雪があった師走の始めにようやく帰ってきた。

朱色の綱に牽かれた牛と馬の何とも愛嬌のある事よ。

壇に設えられると、なかなかお目にかけることも叶わないので・・・・。少しだけ・・・。

12月20日は「辯天樣御年越祭」である。
全て揃って新しい年が迎えられる。辯天様もさぞかしお慶びだろう。


手掛松と九葉紅葉

2014-10-01 08:56:21 | 法話

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「手掛松と九葉紅葉」

 

 去る九月七日に蝦蟆ヶ池辯天堂の落慶法要が恙なく終わり、正月修正會の御札作りに忙しい。陽も短くなり、少しばかり木々の葉が色づき始めてきた今日この頃、平穏なはずの我達谷西光寺で、困ったことが二つもある。

 

 

一つは、達谷窟毘沙門堂に、光背のごとく聳える眞鏡山上に生える手掛松が、マツクイムシの食害にあって、枯れ始めたことである。往古、悪路王が八尺堂山に敷かれた坂上田村麿公の陣を、この松に寄りかかりながら覗ったとの伝承を持つ由緒木なのである。もちろん後の木なのだが、山上から迫出した姿は雄渾そのもので、参拝客の眼を楽しませてきたのだが、9月初めの落慶法要の準備の頃から急に赤茶けてきて、じつに痛々しい。

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森林組合の見立てによれば万事休すで、11月に伐採のうえ燻蒸処理する予定というが、此処達谷のみならず、全国でマツクイムシが猛威を振るい、白砂清松と讃えられた美しい日本の風景が瀕死の状態であることは、法話で何度も述べた。ちなみに一昨年も山上の松が枯れ、伐採を目前に控えた11月2日に強風で折れ、毘沙門堂の屋根を突き破るという惨事も経験した。じつに困ったことである。

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もう一つは九葉紅葉が枯死しそうなことである。毘沙門堂の前に生え、文字通り九つに裂けた大きな葉が特徴で、紅葉がじつに美しい。菅江真澄の「かすむこまがた」にも記された、モミジの名木である。九葉は、心を込めて御供物を捧げる供養に繋がるから、毘沙門様への献木とされてきたのみならず、仙台の伊達の御館様の家紋である九曜紋に通ずることから、御巡検の折、ことのほか愛でられたと伝えられる。

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これも先代が枯れたのちに移植した、樹齢30年ほどの若木であったが、目通り五寸の幹にテッポウムシが何匹も入り、一昨年から樹勢が衰え始めた。あれこれ対策を講じたもののうまくいかず、今は根元にわずかなひこばえを残すにすぎない。モミジの類はことのほか樹齢が短く、急に枯れるから、じつに困るのである。

 

 

 

 由緒ある手掛松と九葉紅葉が枯れることは、達谷西光寺にとって一大事であるが、手掛松は材を何かに利用し、九葉紅葉は鐘楼のあたりに繁茂している何本かの中から、移植を試みたいと思う。とまれ、自然は意のままにならない。しかし、じつに有難いのである。