「移徒(わたまし)」
移徒とは引越しのことで、古くは貴人の屋移りや神輿の渡御を指したものらしく、つまるところ遷座のことを言う。いよいよ、我達谷西光寺でもその秋を迎えることができそうなのだが、それは辯天様に関わる移徒である。
じつは、元禄再建を伝える旧蝦蟆ヶ池辯天堂が昭和21年に焼失し、現辯天堂は、昭和46年に漸くなったのであるが、前よりかなり狭く、かつ華奢なため堂内での神事法要に支障をきたすほどであった。そこで弁天様の歳である今年、平成25年巳年に、御修復、すなわち建て替えを計画していたのだが、国の史跡であるため建替えの認可が下りずに困っていたところ、平泉町教育委員会を始め、関係各位の尽力により、今月17日の文化庁の審議会で許可されるらしいとの吉報が齎されたのである。
その数日後には、岩手県教育委員会経由で許可が届くという。これを待って建築確認申請を提出し、辯天様の移徒を執行したい思うが、それに先立って毘沙門堂の右脇陣を畳敷きに改修したい。もちろん辯天様を御迎えするためである。しかる後に移徒となるが、まず辯天堂で本尊様の魂抜法要行い、毘沙門堂に遷座し、直ちに魂入法要を厳修するのである。
辯天堂が完成するまで、本尊様は毘沙門堂の仮座で暫し御待ち頂くのであるが、現在六躯を残すのみである脇侍の十五童子は、彩色の剥落か酷く持物も失われているので、魂抜の後、佐久間溪雲仏師の工房に運ばれ、修繕が施される段取りとなっている。
移徒の後には辯天堂の解体修理を始め、6月1日から14日まで発掘調査。その後に土木工事、建築工事、さらに外部の彩色を除いて仕上げ工事を済ませ、一旦工事を完了とし、11月末には新辯天堂への移徒を終え、師走20日に御年越神事を行いたい。
因みに、達谷西光寺では、移徒は昔から日が暮れてから行うべきもの、即ち闇に紛れて執行すべきとされている。それは、昼は人の時間であるのに対し、夜は神仏のものだと伝えられるからに他ならない。