「寄進」
有難いことに、このたびの蝦蟆ヶ池辯天堂御修覆に際し、屋根葺きの銅板を始め、沢山の御寄進を頂いたことに、先ずもって御礼申し上げたい。
国の史跡で、発掘調査が不可欠でもあり、工事の着工は遅れたものの、御蔭様で7月末には基礎工事も終わり、猛暑の中、大工工事すなわち木材の刻みも滞りなく進んで、来る9月28日には、いよいよ上棟式を迎えることとなった。が、はたと気づいたことがある。
我弟子は三万円、娘たちも銅板を幾枚か辯天様に寄進しているにも拘わらず、肝心の別當の私が、まだ何もしていなかったのである。ああ、恥ずかしい。釈明が許されるならは、史跡の現状変更や建築確認申請、建物の設計施工に工事の段取り等々はやっている訳だから、私の苦労は辯天様も御承知になっておられる筈・・・・。と胸を張れるかと問われれば、心中憚られるものがある。実はうっかりしていただけて、寄進者芳名額に自分の名前がこと昨日に気づき、今慌てて何をしようか、あれこれ思案の最中なのである。ああ、情けない。
私は毘沙門様に仕え奉る仕事のほかに、物を考え作ることを生業としているから、辯天様に何かを設計して差し上げたいと思うのだが、焦るとなかなかいいアイデアが浮かばないから困ってしまう。それでも漸く、扁額か鰐口か、青銅製の什器、仏具を奉納することに決めた。でも、意匠を考案しなければならないから、すぐには無理であるが、ものを惜しむように思われるのは心外なので、近日中に寄進額にわが名を記せるように思案していきたいし、その期限は、遅くとも上棟式までとしたい。