「板碑(いたび)」平成25年12月16日~31日までの法話

2013-12-16 10:59:59 | 法話

 

「板碑」<o:p></o:p>

 

 蝦蟆ヶ池の中島の南東の隅に、昔から45㎝(一尺五寸)ほどの立石があった。名立たる庭石ではなく、地元の安山岩らしい。由緒は、一切不明である。今般の辯天堂の御修復工事に際しては、ありていに言えば邪魔なのだが、捨てるには忍びないから、抜き取って保管しておくように、土木業者の阿部組に頼んでおいた。中島の嵩上げ工事がほぼ終った十五日に、立石を建てることになった。その位置を確定してほしい、と監督にいわれ、11時に新しい辯天堂の建つ中島に出かけたのである。<o:p></o:p>

 

折しも昨晩は大荒れで、真白い雪の上に横たえられた立石は、地上に出ていた部分こそ苔がきれいだが、その下は泥がこびりついて痛々しく見える。長さは1メートル(三尺三寸)ほどだが、なにかが怪しいのである。急ぎ水を汲ませ、作業員にブラシで擦らせると、蓮華座がくっきりと浮かんできた。その上にはキリークらしい梵字もあるから、みんなびっくりである。<o:p></o:p>

 

 泥を洗い落とすと、立石はじつに見事な板碑であった。蓮華座のすぐ下には15㎝(五寸)ほどの枘に作られている。したがって台石か何かの土台がないと、板碑の竿は建てられないことになる。<o:p></o:p>

 

ふと思い出したのは、昭和45年に岩手大学の板橋元教授が行った中島の発掘調査である。地中深くから貫通孔のある60㎝(二尺)ほどの石を見つけ、調査図面にはその位置が記されている。教授がかなり古い時代の傘塔婆の台石と鑑定されたのを、はっきり記憶しているが、どうもこの板碑のものらしく思われるのである。ちなみにこの調査では、中島南東の立石付近は掘られていない。<o:p></o:p>

 

 じつは、このドーナッツ状の石を、護岸の石組工事の際に見つけて掘り起こしてしまった。直ぐに埋め戻したのだが、これを重機で再び掘って板碑の枘を挿し入れたら、ぴったりと合ったのである。<o:p></o:p>

 

 板碑は中世のものであろう。当初は蝦蟆ヶ池中島の、台石上に建てられた。しかし、倒れるか何かの事態が生じ、しばらく放置されたのち板碑の竿のみ見つかり、再び建てられた。しかし台石は忘れられ、やがて塵や土が堆積し、地中深く埋まっていったのであろう。<o:p></o:p>

 

 さて、その時期はいつごろか。蝦蟆ヶ池の南に照井堰が開削されるのが延宝年間。また、辯天堂再建は元禄年間との記録が残るから、蝦蟆ヶ池と中島に何らかの手が加えられたこの時期に、板碑が見つけられた可能性は高い。いずれ何百年振りに板碑と台石は再会したわけである。私がいなかったならば、二つが遇うことはなかったと思うとじつに不思議で、これは辯天様が下さった縁に違いない。板碑は中島の南東、御神橋の袂に据えられた。廿日からは新しい辯天堂に参拝が叶うから、こちらも是非拝んでほしいと思うのである。Img_2651
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