平成25年12月 蝦蟆ケ池弁天堂の御修覆工事が完了し、いよいよ平成26年9月7日に落慶法要を迎える運びとなった。
昭和21年4月、隣家からの火災により、達谷窟毘沙門堂及び蝦蟆ケ池辨天堂が全焼するという憂き目を見た。毘沙門堂からは、本尊毘沙門天など三〇数躰を運び出したのみ・・・。辯天堂においても、美人と誉れ高い辯天様が助けられたのみ。火のついた「十五童子」は消火のため、蝦蟆ケ池の水中に投げ入れられたという。
昭和36年毘沙門堂は再建され、大修覆や彩色を経て現在に至る。
昭和45年に弁天堂は再建されたが、消失前の御堂と比べかなり手狭で、祭事を執り行うのが困難であった。また、消失を免れた「十五童子」は、実のところ六躰のみで、完全な形のものはほとんどなかったのだ。
迎えて平成25年6月、長き時間を要した許可申請の結果を待ち、ようやく着工の運びとなった。弁天様は半年の間、毘沙門堂内に遷座頂いた。そして、悲願の「十五童子」修復及び復元に着手したのだ。
半年を経て辯天堂は完成し、12月20日の「辯天様御年越」を前に辯天様には新しい御堂に御移り頂いた。
そして、大東町渋民の仏師 佐久間溪雲氏により刻まれた「十五童子」は、京都 林工房の林氏によって彩色され、ようやく今日(8/29)辯天様の脇侍として、蝦蟆ケ池辨天堂に入られたのだ。
9月7日の落慶法要に先立ち、9月3日毘沙門天王月例祭の後、夕刻日が暮れてから開眼法要を予定している。
まずは「十五童子」のお姿をご覧ください。