12月のテレホン法話(12/16~/31) 「糧飯(かてめし)」

2014-12-16 09:23:28 | 法話
「糧飯」
 糧(かて)飯(めし)、糧(かて)御飯(ごはん)とは、菜っ葉や大根や芋や豆などの雑穀を、少ない米の中に混ぜて炊(た)いたものをいう。テレビドラマでおしんが食(く)っていた大根(だいこん)飯(めし)も、この類(たぐい)であろう。
この糧(かて)飯(めし)こそが、師走十七日の観音様の御年越(おとしこし)祭(さい)の御神饌(ごしんせん)となる。その故は、粗末な飯でも食えますように、飢渇(けかつ)することがありませんようにと、観音様に切なる願(ねがい)を掛けて供えられたからである。さぞかし昔は、不味(まず)い飯だったのであろう。 

 さて、我(わが)達谷西光寺では、麦(むぎ)などの雑穀、豆、芋、銀杏、クリ、零余子(むかご)、大根の葉、胡麻類の他(ほか)、有体(ありてい)に言えば、あるものを沢山(たくさん)加え、醤油と塩を入れて炊き上げる。これがじつに旨(うま)い、とある集まりで話したところ、是非味わってみたいということになり、忽(たちま)ち数人の信者が十七日の直會(なおらい)に参集(さんじゅう)することとなったのである。
 
 毎月、十八日は観音様の御縁日(ごえんにち)である。来(きた)る師走(しわす)十七日は大晦日(おおみそか)で宵宮(よいみや)に当たるから、日が暮れて御神域に夜の帳(とばり)が下(お)りると、御歳(おとし)神様(かみさま)が注連縄(しめなわ)の改(あらた)められた三つの鳥居を潜(もぐ)り、燈篭(とうろう)に誘(いざな)われ御堂(おどう)に上(のぼ)られるのである。神様を御迎えしたのち、四箇法要が執り行われるが、神事であるから非公開である。そのあと御供所で直會(なおらい)、すなわち御神酒(おみき)と糧(かて)飯(めし)いただくことに決めたのである。
 
 師走(しわす)の御年越(おとしこし)祭(さい)は、二日の毘沙門様に始まる。毘沙門様には二つの鏡餅(かがみもち)を横に並べて、御供物とする。二十日の辯天様には、御強(おこわ)を卵型に握って御供(おそなえ)とし、二十八日の御不動様には茹でた小豆の上に鏡餅を三個三角に並べて御供(おそなえ)とする。つまり、佛様のためだけに作られる特別の御供物なので、我々が御相伴(おしょうばん)に預かるは難しい。

 斯(か)くして、糧(かて)飯(めし)を奉奠(ほうてん)する観音様の御年越(おとしこし)祭(さい)だけ、御供物(おくもつ)をいただくことが叶(かな)うわけだが、その由来(ゆらい)を改めて紹介したいと思う。我々は、飢えを忘れてはいないか。貧乏人は麦を食え、といった総理大臣がいたそうだが、有史以来我日本(にっほん)では、常に米が不足していたのだ。米余りの現在では想像し難いが、国内で完全自給できるようになるのは、戦後の昭和53年。ついこの前なのである。