「大原雑魚寝」なる冬の季語があり、不思議に思って調べてみました。(^。^)
江戸時代の節分の夜、京都府愛宕郡大原村の江文神社で老若男女が雑魚寝した風習をいう。
西鶴の『好色一代男』によれば、庄屋の内儀から七十になる老婆まで混じったという。
人食いの大蛇を恐れた村中の男女が、ひとところに集まって隠れたのが、その由来とされる。m(__)m
とありましたが、別に、このような記事も、、、(^-^)
「雑魚寝」の伝承は各地にありますが、中でも、大原雑魚寝の様子は、順徳天皇(鎌倉時代、第84代天皇)「八雲御抄」や井原西鶴「好色一代男」、吉井勇の歌集などで紹介されております。
村の男女が一堂に集まり、闇の中で過ごすことが風紀上の問題があるとされ、明治時代には廃止されたと伝えられています。
他の文献では、大原をはじめとする雑魚寝は、多分に男女の出会いの場であり、結婚相手を見つける「集団お見合い」の機会だったと論じています。(^_^)
古来、日本各地で行われていた「夜這い」の風習の集団バージョンだったのかもしれませんね。( ; _ ; )/~~~
一方で、この雑魚寝の場は、村中の男女が入り乱れ交わる、呪術的な意味合いもあったとか、、、若い青年と年増の人妻、中年の旦那と若い娘、、、節分の夜だけは、男女の間に何が起こっても、村人は皆見逃すこととなっており、お咎め無しだったそうです。(≧∇≦)
いずれにしても、江戸時代の村社会において、何らかの必要性があって、受け継がれてきた奇習であり、現代においても、祭りや踊りなどに古の信仰や風習の名残が感じられるから、不思議です。( ^_^)/~~~
若き男女が一堂に会する雑魚寝、、、文学的なエロチシズムを感じる一句。
「鬢の香や雑魚寝の堂の夜更けかな」 祖谷馬関