京都洛中にある和歌の名家「冷泉家」(れいぜいけ)の時雨文庫(しぐれぶんこ)で、藤原定家直筆の古今和歌集の注釈書が見つかったそうです。!(◎_◎;)
以下、ネットニュースより。
藤原定家の子孫にあたる「冷泉家」などによると今回見つかったのは、和歌の大家で知られる藤原定家が、鎌倉時代前期に書いた古今和歌集の注釈書「顕注密勘」(けんちゅうみっかん)の自筆原本です。
この注釈書は、定家による和歌の解釈の書き込みや推敲が書かれたもので、これまでは写本のみが見つかっていて、国の重要文化財に指定されるなど和歌の研究の中でも極めて重要なものとされてきました。
「冷泉家」が代々受け継いできた和歌の奥義を伝える「古今伝授箱」を調査した際に定家自筆の原本が初めて見つかり、調査に携わった大学教授などは「国宝に価する」と評価したということです。
「冷泉家」は今後文化庁に文化財指定に向けた調査を依頼し、修理をしたあとに公開するかどうかを検討するとしています。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
藤原定家と言えば、鎌倉時代を代表する歌人で、後鳥羽上皇のもとで、現代にまで伝わる「新古今和歌集」を編纂した人物。m(._.)m
定家の日記「明月記」や古今和歌集の写本など、現存する複数の直筆書が国宝に指定されており、今回も世紀の大発見のはずですが、それが、「直筆書は、冷泉家が蔵で保管していた古今伝授箱に入っていた」とサラリと言われ、こちらはびっくり仰天!(°▽°)
そんな千年の時空を超えて、先祖の記した直筆書物が、ふと、現代の蔵から見つかるか!、しかしぃ!!(◎_◎;)
また、「定家様」と呼ばれる特徴的な字体で書かれ、ペンネームとして用いた「八座沈老」(はちざちんろう)の文字や花押などもあり、定家直筆と判断できたそうです。٩( ᐛ )و
馬関としては、この藤原定家のペンネーム「八座沈老」に比して、我が俳号「祖谷馬関」(いや〜ん、バカ〜ん)の何とも恥ずかしいことかと、反省しきりm(._.)m
千年後、我が子孫にネット検索されたとしたら、、、マズイ!(≧∇≦)
「沈老の蔵より出でし乞巧奠」 祖谷馬関
(注)乞巧奠(きっこうてん)は初秋の季語。中国から伝わった七夕行事。もともとは魔除の行事であったが、 牽牛・織姫伝説と結びつき、機織の上達ひいては芸事全般の上達を願う行事に変わった。最初、宮中の行事であったが後に民間にも広まった。
冷泉家に昔より伝わる七夕の行事、乞巧奠(きっこうてん)。
彦星と織姫へのお供え物を前に、蹴鞠、雅楽、和歌の朗詠を行って技芸の上達を祈り、続いて天の川に見立てた白い布を挟んで、男女が和歌の贈答を行います。
この行事は、冷泉家の他の行事と同様今も旧暦に基づき、毎年旧暦の7月7日に近い日に行われています。
以下、ネットニュースより。
藤原定家の子孫にあたる「冷泉家」などによると今回見つかったのは、和歌の大家で知られる藤原定家が、鎌倉時代前期に書いた古今和歌集の注釈書「顕注密勘」(けんちゅうみっかん)の自筆原本です。
この注釈書は、定家による和歌の解釈の書き込みや推敲が書かれたもので、これまでは写本のみが見つかっていて、国の重要文化財に指定されるなど和歌の研究の中でも極めて重要なものとされてきました。
「冷泉家」が代々受け継いできた和歌の奥義を伝える「古今伝授箱」を調査した際に定家自筆の原本が初めて見つかり、調査に携わった大学教授などは「国宝に価する」と評価したということです。
「冷泉家」は今後文化庁に文化財指定に向けた調査を依頼し、修理をしたあとに公開するかどうかを検討するとしています。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
藤原定家と言えば、鎌倉時代を代表する歌人で、後鳥羽上皇のもとで、現代にまで伝わる「新古今和歌集」を編纂した人物。m(._.)m
定家の日記「明月記」や古今和歌集の写本など、現存する複数の直筆書が国宝に指定されており、今回も世紀の大発見のはずですが、それが、「直筆書は、冷泉家が蔵で保管していた古今伝授箱に入っていた」とサラリと言われ、こちらはびっくり仰天!(°▽°)
そんな千年の時空を超えて、先祖の記した直筆書物が、ふと、現代の蔵から見つかるか!、しかしぃ!!(◎_◎;)
また、「定家様」と呼ばれる特徴的な字体で書かれ、ペンネームとして用いた「八座沈老」(はちざちんろう)の文字や花押などもあり、定家直筆と判断できたそうです。٩( ᐛ )و
馬関としては、この藤原定家のペンネーム「八座沈老」に比して、我が俳号「祖谷馬関」(いや〜ん、バカ〜ん)の何とも恥ずかしいことかと、反省しきりm(._.)m
千年後、我が子孫にネット検索されたとしたら、、、マズイ!(≧∇≦)
「沈老の蔵より出でし乞巧奠」 祖谷馬関
(注)乞巧奠(きっこうてん)は初秋の季語。中国から伝わった七夕行事。もともとは魔除の行事であったが、 牽牛・織姫伝説と結びつき、機織の上達ひいては芸事全般の上達を願う行事に変わった。最初、宮中の行事であったが後に民間にも広まった。
冷泉家に昔より伝わる七夕の行事、乞巧奠(きっこうてん)。
彦星と織姫へのお供え物を前に、蹴鞠、雅楽、和歌の朗詠を行って技芸の上達を祈り、続いて天の川に見立てた白い布を挟んで、男女が和歌の贈答を行います。
この行事は、冷泉家の他の行事と同様今も旧暦に基づき、毎年旧暦の7月7日に近い日に行われています。