京都観光文化検定試験の受験準備を進めています。(^。^)
学んだ内容や疑問を感じた事柄を確認するため、京都の界隈を現場踏査することもしばしばです。(^-^)
今日は、台風一過の秋晴れとなったので、このところ、実際に訪ねてみたいと考えていた洛中の寺社をいくつか回ってみようと思い立ちました。(^_^)
まず訪ねたいのは、「東北院」なる寺院。
そのあと、宗忠神社、善正寺、光雲寺など、東山界隈を回れたら、と思います。( ^_^)/~~~
「東北院」は、真如堂の北西にあり、寺地は幾度か移転しています。境内には平安時代中期の歌人・和泉式部の手植えと伝えられる梅の木があることで有名。山号は雲水山。時宗、本尊は弁財天。
詳しくは、次のとおりです。(^-^)
藤原道長の没後、道長の娘である国母上東門院(藤原彰子)の発願によって道長建立の法成寺東北の一郭に常行三昧堂として建立された。上東門院は東北院を建てた後、晩年ここを在所としたため、別称を東北院ともいう。法成寺の区域の東北にあったこと、また上東門院の母である源倫子が建立した常行三昧堂が法成寺の区域の西北にあって「西北院」と呼ばれていたことにちなみ、こちらは「東北院」と称せられた。
現在、本堂には後西院宸筆の額が掲げられ、本尊とともに藤原道長の衣冠束帯姿の像が安置されている。また、法成寺にあった頃に和泉式部が東北院に「軒端の梅」を植えたとされ、その梅とされるものが現在も境内にある。この梅に関する伝説は能・謡曲の『東北』として今日まで伝えられており、東北院においても『一遍上人和泉式部物語』『東北院弁財天縁起』などの文献が伝えられている。
後一条天皇菩提樹院陵が正面にある。
後一条天皇菩提樹院陵が正面にある。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
さて、「奥の細道」より、今日の一句。
「田一枚植て立去る柳かな」 芭蕉
うーん、この句は解釈が難しいですね。
植えるのは誰か、はたまた、立ち去るのは誰か?、、、そこに柳とは、これ如何に?(^_^)
ネットで調べてみましょう。(^。^)
(解説)
この句をどういう意味でとらえるかについては、諸説あります。
田を植えたのがだれなのか、立ち去ったのがだれなのか、句の中では明確に言及されていないため、様々な解釈が成り立つのです。
①「農民たちが田を一枚植えて、立ち去って行き、あとに残されたのは柳のみである。」と解釈する説
②「農民たちが田を一枚植える間、私は柳に見とれていたが、田植えも終わって農民たちが去り、私も立ち去ることとするので、残るのは柳のみである。」と解釈する説
③「私は田を一枚植えて立ち去るが、あとには柳が残される」と解釈する説
など、上記のように様々です。
田を植えたのがだれなのか、立ち去ったのがだれなのか、句の中では明確に言及されていないため、様々な解釈が成り立つのです。
①「農民たちが田を一枚植えて、立ち去って行き、あとに残されたのは柳のみである。」と解釈する説
②「農民たちが田を一枚植える間、私は柳に見とれていたが、田植えも終わって農民たちが去り、私も立ち去ることとするので、残るのは柳のみである。」と解釈する説
③「私は田を一枚植えて立ち去るが、あとには柳が残される」と解釈する説
など、上記のように様々です。
この句が詠まれたのは、下野国(しもつけのくに 現在の栃木県)那須郡の芦野。
ここには、かつての伝説的歌人、西行法師が立ち寄ったとされる有名な柳の木がありました。
「おくのほそ道」には、【芦野の領主が柳の木をみせたいと常々芭蕉に言っていたので、いったいどのような柳なのかと思いながら、念願かなって柳に立ち寄った】と書かれています。
ここには、かつての伝説的歌人、西行法師が立ち寄ったとされる有名な柳の木がありました。
「おくのほそ道」には、【芦野の領主が柳の木をみせたいと常々芭蕉に言っていたので、いったいどのような柳なのかと思いながら、念願かなって柳に立ち寄った】と書かれています。
西行法師の和歌からはどのくらい長居したものか明確ではありませんが、芭蕉は農民たちが田んぼ一つ分の田植えを済ませてしまうまで柳に見とれ、西行法師のことに思いをはせていたと言うことを言いたいのだと考えられます。
柳に見とれる芭蕉の脳裏に浮かぶのは、500年も前の伝説的歌人西行。
しかし、現実に目の前で繰り広げられるのは毎年変わらない「人々の営み」。過去の伝説の存在と現在の生活者を対比させ、その真ん中に作者がいます。
作者は、古の詩歌のみやびにも心をひかれつつ、それとは無関係に立ち働く農民の姿の両方をおもしろがる視点を持ち合わせているのです。
柳に見とれる芭蕉の脳裏に浮かぶのは、500年も前の伝説的歌人西行。
しかし、現実に目の前で繰り広げられるのは毎年変わらない「人々の営み」。過去の伝説の存在と現在の生活者を対比させ、その真ん中に作者がいます。
作者は、古の詩歌のみやびにも心をひかれつつ、それとは無関係に立ち働く農民の姿の両方をおもしろがる視点を持ち合わせているのです。
(句意)
農民たちが田を一枚植える間、私は柳に見とれていたが、田植えも終わって農民たちが去り、私も立ち去ることとするので、残るのは柳のみである。
やっぱり、パリのエッフェル塔!🗼
学術的にも解釈が分かれているとは、、、馬関だけが悩んでるわけじゃなかったのね!!(◎_◎;)
パイセン・バッショーの句は、いつの世にも通じる普遍的なものと、この句のように、かなり場所性や歴史性が強く、かつ、芭蕉翁の嗜好も深いような作品がありますね。( ; _ ; )/~~~
後者は、周辺情報を交えた解説がないと、正しく鑑賞できましぇん!(^。^)
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では、馬関より、返句献上申し上げます。
「秋うらら軒端の梅も惑ふやう」 祖谷馬関