全53句もあるので、こりゃ楽しめそうだワン!🐕🦺
「笈の小文」は、貞享4年(1687)10月〜貞享5年(1688)4月の間、芭蕉44歳〜45歳の頃に行われた紀行です。(^。^)
芭蕉は江戸を発ち、東海道を上り尾張の鳴海・熱田へ。門人越人を伴い、伊良湖岬で杜国を見舞う。再び鳴海・熱田・名古屋で当地の俳人たちから歓迎を受けて連日句会に出席。歳末に伊賀上野へ帰郷して越年。伊勢で杜国に会い、再度伊賀上野へ帰郷し父の33回忌を営む。春、杜国と連れ立ち、花の吉野へと向かう。和歌の浦・奈良・大坂・須磨に至り、4月23日に京都に入るまでの6か月の旅。
だそうです。(^-^)
何度も出てくる「杜国」さんが、愛弟子の「坪井杜国」、、、例の芭蕉男色疑惑の方ですよね。!(◎_◎;)
さて、「笈の小文」からの第一句は如何に?m(__)m
「旅人と我名呼ばれん初しぐれ」 芭蕉
些かの哀愁が滲む一方で、旅人として生きる揺るぎない決意が感じ取れる、、、男らしく骨太な句ですね。( ; _ ; )/~~~
ちなみに、「時雨」は、「定めなきもの」の象徴とされており、ここにも、芭蕉翁の旅に生きる一種の諦観と自負が内在しているのではないでしょうか?( ^_^)/~~~
では、畏れ多くも、馬関の返句をば。(^_^)
「我が身より子に幸あれと流れ星」 祖谷馬関