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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

「僧朝顔幾死かへる法の松」 芭蕉

野ざらし紀行、こちらも、奈良・當麻寺を訪ねた折の句だそうです。(^。^)

僧朝顔幾死いくしにかへるのりの松」 芭蕉

句意は、次のようです。(^-^)

 僧侶も所詮朝顔のように命ははかないものである。この寺の住持も幾たびか
死んで代替りしたであろう。その長い歳月、この松は仏縁に恵まれて、かくも
長い寿命を保っている。

にゃるへそ。🐈‍⬛

當麻寺は、奈良県葛城市當麻にある真言宗・浄土宗二宗の寺院。法号は禅林寺。山号は二上山。本尊は当麻曼荼羅。創建時の本尊は弥勒仏(金堂)。
宗派は真言宗と浄土宗の並立となっており、開基は聖徳太子の異母弟・麻呂古王とされますが、草創については不明な点が多いと言われています。(^_^)

西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」の信仰と、曼荼羅にまつわる中将姫伝説で知られる古寺で、毎年4月14日に行われる「聖衆来迎練供養会式」には多くの見物人が集まります。(写真)
奈良時代 - 平安時代初期建立の2基の三重塔(東塔・西塔)があり、近世以前建立の東西両塔が残る日本唯一の寺としても知られています。m(__)m

有名な中将姫は、奈良朝廷の右大臣の藤原豊成の娘。美しく聡明な子でしたが、幼くして母を亡くします。継母から虐待されるなど、諸事あって當麻寺の尼僧となります。
観音菩薩の助けを得て、蓮糸を使い、一夜にして巨大で鮮やかな織物を織りあげたものが、當麻寺本堂の本尊・當麻曼荼羅と伝わります。
曼荼羅が織り上がってから12年、中将姫は教えを説き続け、29歳で生身のまま極楽浄土へ旅立ちました。
その様子を伝えるのが毎年4月14日に當麻寺で営まれる行事「聖衆来迎練供養会式」(写真)です。
二十五菩薩に迎えられ、あの世へ向かったという中将姫。数々の伝説に彩られ、その生涯は謡曲や説話などの題材になりました。

當麻寺のお土産として、中将姫にちなんだお餅「中将餅」が人気です。( ^_^)/~~~

 「練供養老女の背にも後光哉」 祖谷馬関

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