昨日、10月14日は、日本初の鉄道開業の記念日、、、なんと開業150周年記念というから驚きです。(^。^)
「陸蒸気」と称するイギリス製の蒸気機関車が新橋駅を発車したのは、1872年10月14日、新橋―横浜間(29キロ)を50分で走破したとのこと。(^-^)
29キロといえば、昔の尺度で約七里ですよね。( ; _ ; )/~~~
それにしても、明治維新から僅か4、5年で、鉄道開業に漕ぎ着けた進歩と執念が物凄いですね!(^_^)
しかも、現在、新橋〜横浜間は、約23分で結ばれていますが、150年前に50分だったとは驚きです!!(◎_◎;)
ちなみに、その後、今から121年前の1901(明治34)年の5月27日、山陽鉄道の厚狭~馬関が開通しました。山陽鉄道は、現在のJR山陽本線の前身で、馬関駅は現在の下関駅。この日、山陽鉄道の神戸~下関が全通を迎えたのです。( ^_^)/~~~
皆様、、、馬関は下関の前身なのですよ。(^_^)
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
さて、「奥の細道」より、今日の一句。
「暑き日を海に入れたり最上川」 芭蕉
非常に感性に訴える、かつ、ダイナミックな一句ですね。(^。^)
暑さを海に入れる、、、スケールの大きな描写で、俳句の可能性を切り拓くような、実験的な句だと思います。(^-^)
ネットで確かめてみましょう。(^_^)
(解説)
この句は、この上なく暑い日、夕刻になってやっと涼を得たときに詠まれた句です。
最上川を舟で下ってきて、流れる川と日本海に沈む勇壮な夕日を目の当たりにしたのでしょう。
この句を詠んだ日、芭蕉は酒田の医師のもとに泊まります。この医師も俳諧をたしなむ人でした。
最上川への感動を句に詠むことで、旅先で世話になるその地に暮らす人々への挨拶するような意味合いを込めていたのかもしれません。
最上川を舟で下ってきて、流れる川と日本海に沈む勇壮な夕日を目の当たりにしたのでしょう。
この句を詠んだ日、芭蕉は酒田の医師のもとに泊まります。この医師も俳諧をたしなむ人でした。
最上川への感動を句に詠むことで、旅先で世話になるその地に暮らす人々への挨拶するような意味合いを込めていたのかもしれません。
(句意)
あつい夕日が最上川によって海に流し込まれ、沈もうとしている。気温の高かった一日も終わりを迎え、涼を得られることだよ。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
解説や句意には、ダイナミック感が評価されていませんが、馬関的には、やはり、スケールの大きさを讃えたいですね!(^_^)
では、馬関より、返句献上申し上げます。
「七里より鉄路延びゆく邦の秋」 祖谷馬関