神護寺は、平安京造営に功績のあった和気清麻呂が781年(天応元年)に河内に神願寺を、ほぼ同時期に山城に高雄山寺を建立したことに始まる。
高雄山寺では、802年(延暦21年)に最澄が招かれて法華会(法華経の講演)が行われ、812年(弘仁3年)には空海が住持となっている。
824年(天長元年)、神願寺と高雄山寺が合併され「神護国祚真言寺」(じんごこくそしんごんじ:神護寺)となり、空海とその弟子によって整備が進められた。
山号は高雄山。本尊は薬師如来。
神護寺は、空海の後もその弟子達によって護持されていたが、平安末期には衰退し、その再興に尽力したのが文覚。後白河法皇や源頼朝もその再興を援助した。
1205年(元久2年)に文覚が対馬に流され亡くなった後は、弟子の上覚、明恵に引き継がれ、1225年(嘉禄元年)、明恵を導師として伝法会が修され、翌年落慶の総供養が行われた(明恵は高山寺を再興した僧)。
高雄山寺では、802年(延暦21年)に最澄が招かれて法華会(法華経の講演)が行われ、812年(弘仁3年)には空海が住持となっている。
824年(天長元年)、神願寺と高雄山寺が合併され「神護国祚真言寺」(じんごこくそしんごんじ:神護寺)となり、空海とその弟子によって整備が進められた。
山号は高雄山。本尊は薬師如来。
神護寺は、空海の後もその弟子達によって護持されていたが、平安末期には衰退し、その再興に尽力したのが文覚。後白河法皇や源頼朝もその再興を援助した。
1205年(元久2年)に文覚が対馬に流され亡くなった後は、弟子の上覚、明恵に引き継がれ、1225年(嘉禄元年)、明恵を導師として伝法会が修され、翌年落慶の総供養が行われた(明恵は高山寺を再興した僧)。
高雄あたりは、三尾と呼ばれる地域。
高雄山神護寺、栂尾山高山寺、槙尾山西明寺。それぞれ山号に「尾」(雄)がつくことから、地域を総称して三尾(さんび)と呼ばれています。
また、多数の宝物を所蔵する寺院としても有名です。
・伝源頼朝像・伝平重盛像・伝藤原光能像
・山水屏風
・梵鐘「三絶の鐘」/文人の橘広相が詞を、菅原是善(道真の父)が銘を作り、歌人で能書家でもあった藤原敏行が字を書いた
・灌頂歴名
・文覚四十五箇条起請文 など
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さて、「奥の細道」より、今日の一句。
「あつみ山や吹浦かけて夕涼み」 芭蕉
ん?、またまた久々に「わけワカメ」な一句。いったい何を言いたいのか、、、深過ぎて分からない、、、知らんけど。!(◎_◎;)
抱え込まずにネットで調べましょう。(^。^)
(解説)
全体は「暑さを吹いて涼む」構成になっている。吹浦は酒田海岸の地名、あつみ山は山形県西田川郡温海町にある温海岳(標高736m)のこと。雄大な景色の中で温海山が夕涼みをしているという擬人化。酒田の門人たちへの挨拶吟でもある。
(句意)
あつみ山(温海岳)から吹浦(海)を一望でき、「あつみ山」と暑さを思わせる山から涼しい風を思わせる吹浦を見下ろすのは、しゃれた夕涼みだ。
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暑いと吹く涼風の掛け詞、、、いや、こりゃ難しかぁことですたい。( ; _ ; )/~~~
ばってん、気を取り直して、馬関より、返句献上申し上げます。m(__)m
「朝晩の冷えも時節や早生蜜柑」 祖谷馬関
(注)早生蜜柑は、早なりの温州みかんのこと。熟期は十月中下旬。宮川早生、興津早生などの品種があり、早生ながらも糖度が高い。たんに「蜜柑」といえば冬の季語になる。