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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

時の流れは一定じゃない!

昨日の夕刊に報道写真の特集があり、13年前、東日本大震災に伴う福島第一原発の津波被害によって緊急避難を余儀なくされた小学校の教室内の光景が掲載されていました。m(._.)m

その一枚には、教室内の座席が写されており、机の上には、子供たちのランドセルや教科書などが当時のまま置かれていました。(^。^)

終業の折に大きな揺れが来たのでしょうか?、それとも、地震のあと一旦はランドセルなどを持って避難しようと試みたのでしょうか?(°▽°)

いずれにしても、震災当時のまま時間が止まっている、そんな写真、、、被災地の方々の様々な哀しみや苦難が滲んで見えるかのようでした。( ; _ ; )/~~~

現在、当時のままの光景が残っているということは、この教室自体は津波被害を受けなかったということですね。少し安堵しました。(^_^)

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

このような事実に出逢うにつけ、つくづく時間の流れって人の受け止め方によって様々であり、決して一定ではないと思い知りますね。m(._.)m

震災の爪痕でなくとも、あの時のまま時間が止まっているように感じること、普段の生活でも多々あります。(^_^)

例えば、楽しい話題では「同窓会」、、、お互いに会ってしばらくすれば、学生時代と何ら変わらぬ間柄になり、まるで30数年の間、時間が止まっていたかのように思えてきます。(^。^)

客観的に見れば、初老のハゲと白髪頭、メタボたちがはしゃぎ合っているだけの図なんですがね。(°▽°)

少し哀しいことでいえば、時折、夢に両親が出てきます。(^-^)

僕は小学生くらいの子供で、父母はまだ若く、泣き笑いを交えていきいきと暮らしています。
これも、夢のひととき、そこで時間が止まっているかのようです。(^_^)

そして、その夢から覚めると、一気に40年以上、時計の針が進む訳です。( ; _ ; )/~~~

けれども、機械の正確さではなく、そんな錯覚があるからこそ、人は時の流れの中で生きていけるのかもしれませんね。( ^_^)/~~~

「泣き笑い時も流れて花筏」 祖谷馬関

(注)花筏は、水面に散った桜がかたまりとなって、優雅に流れるさまをいう。流れる様子を筏に見立てての言葉。花の散りかかる筏を言う場合もある。
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