葵祭は、祇園祭、時代祭と並んで、京都三大祭の一つですが、祭の歴史は古く、欽明天皇の567年、風雨が激しく五穀が実らなかったので、「卜部伊吉若日子」に占わせたところ、賀茂の神々の祟りというので、祭礼を行い、馬には鈴をかけ、人は猪頭をかぶって駆競をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になったと伝えられています。(^-^)
819年には、朝廷の律令制度として、最も重要な恒例祭祀(中紀)に準じて行うという国家的行事になり、源氏物語にも、葵祭の斎王列を見物しようと、光源氏の妻、葵の上と六条御息所が、車争いを演じた場面が登場します。(^_^)
様々な前儀があり、5月3日の流鏑馬神事は、糺の森にある馬場を、公家装束姿や武家狩装束姿の射手たちが疾走する馬上から、3つの的を射抜くというもの。(^。^)
また、5月12日、御蔭祭・御阿礼神事が行われます。
御蔭祭は、下鴨神社のご祭神の荒神霊を迎えるため、左京区上高野の御蔭神社で行われる神事。
祭典の後は新馬に神霊を移し、神職以下多くの供奉の人が神馬とともに下鴨神社まで巡行、下鴨神社では本殿に入る前に、神社境内の糺の森で「切芝の儀」を行い、荒魂を歓迎し、舞人が優雅な「東游」(あずまあそび)を奉納します。(^-^)
上賀茂神社の御阿礼神事は、古来の神迎えの神事で、5月12日の深夜に行われる最も古く秘儀とされています。ちなみに御阿礼とは神の出現・天降りのことを言うそうです。(^_^)
807年、葵祭が勅祭になり、810年には賀茂斎院が置かれ、第52代・嵯峨天皇の皇女・有智子内親王が初代斎王として仕え、以降歴代斎王が葵祭に奉仕しました。m(._.)m
5月15日、乗尻を先頭に検非違使・山城使・内蔵寮史生・馬寮使・舞人・近衛使(勅使)代・陪従・内蔵使からなる騎馬の文官・武官を中心とする本列(勅使列)と、斎王代をはじめとする女人列、これら平安時代の衣装を身にまとった人々が牛車とともに京都御所から下鴨神社を経て上賀茂神社まで約8kmの道のりを行列する路頭の儀が行われます。( ^_^)/~~~
余録
4月24日、丹後国一ノ宮、元伊勢と呼ばれる「籠神社」でも葵祭が行われますが、こちらの神職は、葵桂ではなく「藤」を附帯されています。(^。^)
かつては「藤祭」と言ったそうですが、賀茂社の「葵祭」に倣って名称変更されたそうです。( ; _ ; )/~~~
「切芝の東游の舞人や
葵桂に空蟬を問ふ」
by 祖谷馬関