1034年、「後一条天皇」より鎮護国家の勅願所と定められ、「良峯寺」の寺号が下賜されました。(^-^)
1192年、「後鳥羽天皇」より現在の「善峯寺」の宸額が下賜されました。また白河天皇や後花園天皇により伽藍寄進整備がなされ、後嵯峨天皇や後深草天皇など皇室の御崇敬をうけました。(^。^)
鎌倉時代には慈鎮和尚や証空上人が入寺、室町時代には僧坊52に及びますが、応仁の乱により大半の坊が焼失しました。(≧∇≦)
その後、江戸時代には徳川5代将軍綱吉公の生母である桂昌院の尽力により、現存の鐘楼・観音堂・護摩堂・鎮守社・薬師堂・経堂が復興されて、幾多の貴重な什物が寄進されました。(^-^)
現在は、西国三十三所観音信仰、遊龍の松、桜・あじさい・秋明菊・紅葉など季節の彩り、京都市内の眺望が特徴です。(^_^)
桂昌院は、京都洛中の生まれで、江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室で、5代将軍・綱吉の生母。
通称は玉、、、「玉の輿」の語源となったと言われています。( ^_^)/~~~
善峯寺境内にある五葉松は、境内多宝塔と経堂の前に広がり、幹が左右に長く伸び、龍のように見えるところから「遊龍の松」とは言われます。 (^-^)
女流歌人の「大田垣蓮月」が「世々を経て光いやます善峯のその玉松のむかしをぞ思ふ」と詠んでおり、国の天然記念物に指定されています。( ; _ ; )/~~~
「地を這うか天を這うかや龍の松
桂昌院の慈悲の導き」
by 祖谷馬関