1331年の「元弘の乱」で倒幕に失敗した後醍醐天皇が京都を脱出した後、光厳天皇が即位しましたが、後醍醐天皇は退位の思いはなく、天皇が二人存在することになり、光厳天皇は北朝一代目の天皇と言われています。(^。^)
鎌倉幕府の滅亡後、1333年、後醍醐天皇による「建武の新政」が始まり光厳天皇は退位させられ上皇となりました。(^-^)
1336年、新政崩壊後、光厳天皇の弟が北朝二代目「光明天皇」となり、本格的な南北朝時代が始まります。( ; _ ; )/~~~
足利尊氏が室町幕府を開いた後、弟の足利直義と高師直の対立から、1350年、「観応の擾乱」が起こります。(≧∇≦)
直義は南朝側に降参し、1351年、南朝側は京都へ復帰しますが、1352年、足利尊氏の嫡男で後に二代将軍になる「足利義詮」が近江で態勢を立て直し、京都を奪還します。(^_^)
この時、撤退する南朝は光厳・光明、崇光上皇と直仁親王を奈良県五條市の「賀名生」へ連れ去ったのです。(≧∇≦)
5年もの間軟禁されている間に、光厳上皇は出家し、晩年は「常照皇寺」へ入り、1364年に崩御されました。(ToT)/~~~
常照皇寺の庭には、国の天然記念物「九重桜」、御所より枝分けした「左近の桜」、樹齢四百年の「御車返しの桜」などの名木があります。(^。^)
また、寺の背後には光厳天皇の山国陵、後花園天皇の後山国陵、後土御門天皇の分骨所があり、往時の悲哀や願いを今に伝えるかのようです。( ^_^)/~~~
「九重の桜散りゆく常照寺
その陵の永遠の願ひに」
by 祖谷馬関