以下、映画「百花」の宣伝より引用です。
映画では、認知症を患う母に原田美枝子、その母と向き合い懐かしい思い出を蘇らせていく息子を菅田将暉が演じます。
親子や家族の在りし日の大切さが、壊れゆく母を思う息子の切ない気持ちを通じて心に響いてくることでしょう。
親子や家族の在りし日の大切さが、壊れゆく母を思う息子の切ない気持ちを通じて心に響いてくることでしょう。
映画監督の川村元気さんが原作の小説も書いていますね。(^-^)
馬関としては、このタイトルの「百花」が非常に気になり、調べてみました。(^_^)
ネットでは、「『百花』とは、劇中何度も形を変えて登場する『一輪挿し』の事ではないかなと思いました。花一輪一輪が記憶の象徴であり、様々な記憶(花)を束ねて花束にして、子から母へ愛を込めて贈るというメタファーだと勝手に理解しました。」とありました。( ; _ ; )/~~~
馬関の好きな禅語に「百花春至為誰開」がありますが、これは、美しく咲く春の花はいったい誰の為に咲くか、という問いかけの語です。いうまでもなく、花は誰の為でもなくただ無心に咲いており、人にもまた、そのような境地が大切だという意味と理解しています。
さて、「更科紀行」より、今日の一句。
「木曾の橡(とち)浮世の人のみやげ哉」 芭蕉
木曽の名物が橡(とち)なんでしょうか?
ひょっとして橡餅かな?、、、みんな土産に買って帰るのかな?(^。^)
(句意)
木曾で拾った橡の実を、世の営みにあくせくしている人々への土産に持って帰ろう。少しでも隠遁生活の情が伝わるように。「とち」は「橡」。食用にした。「やまふかみいはにしたたる水とめむかつかつおつるとちひろふほど」(西行)。古来、橡は隠遁者のイメージと結びついた。
ニャルへそ!🐈⬛
橡は、隠遁者のイメージだったんですね!(^-^)
では、馬関より、返句献上申し上げます。
「初恋や百花の春に唯一輪」 祖谷馬関