皆さんこんにちは 秋めいてきましたがいかがお過ごしでしょうか。
前回の続きです。
その後数か月に渡り 色々ゴタゴタしましたが
なんとか借金もなくなり ひと段落しました。
そしてひと段落してから そういえば義父はちゃんと成仏出来たのかな?と
皆さんはお葬式をして お坊さんにお経を読んでもらえば
亡くなった人はきちんとあの世と言われる場所に行く・・・と思ったいますか?
これが違うんです!
どんな宗教に入っていても どんなにお金をかけてお葬式をしても同じなんです。
私が思うには お葬式は残された人達のためのものだと。
もう会えない大事な人のために 精一杯に何かしたい!という気持ちからあると思うんです。
でも亡くなった方が まだ生きたい!とかやり残しが!とか
恨みや 後悔や 心残りがあると
いくらお葬式で有名なお坊さんにお経を唱えてもらっても
成仏してはくれません。
その人が生きている時にどれくらい 人生をエンジョイしたかで決まるように思います。
戦争を経験して苦しんで亡くなった人でも
すぐに成仏する人と 中々行かない人がいます。
同じ苦しみでも 受け取り方なのかな?と思います。
こんだけ苦しんでも 何とか人生やりきった!と思うか
こんなに苦しんで死ぬなんて 許せない!こんなの認めない!と思うか
これも波動の軽いか重いかなんです。
そして義父は思った通りに成仏せずに 死んでからも言い訳をブツブツ言っています。
私が義父を呼ぶのですが(早く成仏してほしいので)
やはり私を嫌って すぐに逃げてしまいます。
まあいいか・・・と私も本人がさ迷う魂になるとしても 本人の意思なので
とほっておいたんです。
が!主人の実家の仏壇に参っていた時に
義父が餓鬼の姿に変化しているのが 一瞬見えました・・・。
本当にそんな風になるんだ・・・と初めての光景に ビックリなわたし。
そういえば全てに対して 義父は足らん!足らん!の人だったな・・・と。
私が何かプレゼントしても 喜ぶ事なく 「こんなもん・・・」とつぶやく人だったので。
では何とかしようかな?とイタコになるのが得意な友人に 声を聴いてもらう事に
が!しかし やはり私を怖がる義父は すぐに逃げて行きました。
昔から私はそいうい低い重い波動の物に怖がられるので
(こんなに優しく可愛いのに!ぷんぷん!)
まあ怖がられるのは慣れっこでした。
そして まあ本人がそこに居たいなら どうぞご勝手に。
という感じでした。
つづく